Misfortune(k)night」>>



「なんだか友達みたいね」


 摩子ちゃんの感想に開いた口が塞がらなかった。

 いつもの昼休み、摩子ちゃんと倫ちゃんと一緒にお弁当を食べながら和気あいあいと雑談していた最中の一言だ。それはそれは鋭いツッコミに、わたしの心はものの見事に衝撃を受けた。つまるところ、予想外の一撃だったのだ。こんなこと前もあった気がするぞ、と回顧に耽ろうとして、摩子ちゃんのそれどころじゃないよと言わんばかりの眼差しに引き戻される。
 話題は休日の過ごし方についてだった。いい天気だった昨日、二人がお出かけしたという話をそれぞれしたあと、トリを務めるようにわたしは、雅人くんの部屋で漫画を読んだりドラマの録画を見て楽しかったという話を感情込めて話した。嘘なんかじゃなく、最低限しか身体を動かさずぐーたらしながら娯楽に興じる日曜日は気楽で楽しかった。雅人くんも土曜日はボーダーの任務だったからちょうどよかったと思う。わたしたちは昔から、二人で遊ぶといえばお互いの家に集まって何かするのが主だったから、いつも通りと言える。
 そんな風に満足げに語ったにもかかわらず摩子ちゃんの冒頭の台詞である。ぽかんとしてしまうのも無理ないでしょう。楽しくなさそうとかダメ出されるでもなく、予想外の感想だ。友達、じゃないよ、雅人くんとは付き合ってるんだよ。先月報告したじゃんかねえ。
 摩子ちゃん曰く、わたしと雅人くんが以前とまるで変わりないことをずっと指摘したかったんだそうだ。恋人になったんならもっと違うこともできるだろうに、まるで幼なじみのままじゃないかと。丸くしていた目をパチパチと瞬かせてしまう。


「そんなことないと思うけど…」


 とは言ったものの、否定できるほど材料がないのは事実だ。恋人らしいこと、見当もつかないなんてことはないけど、自分のこととしてはちっとも想像できなかった。それはドラマや少女漫画の世界だ。ちゅーとかするんでしょう?大人よねえ、なんてきゃっきゃしてしまう。全部他人事だ。
 ふと倫ちゃんを見ると、ご飯を咀嚼しながら摩子ちゃんを神妙な面持ちで見つめていた。それからわたしに目を向けるなり、うん、とやけに力強く頷く。


「もっとね、あるなって…!」
「倫ちゃんまでかあ」
「全部報告しろとは言わないけどね!」
「そうね」


 摩子ちゃんも同意と言わんばかりに頷く。さっきからすっかり止まってしまった箸を持っているのが間抜けに思えてきた。置くにしてもちょうどいい場所がないから、結局持ったままにしておく。
 とにかく、二人はわたしが雅人くんと付き合い始めた報告をしたとき、とても喜んでくれた。そのあとも色々気にかけてくれるし、雅人くんは自分から言わないだろうからと、必要であろう男友達に根回しもしてくれた。おかげさまで北添くんや荒船くんも知っている。わたしとしては話が早くて助かっているけれど、雅人くんにはどやされたらしい。摩子ちゃんたちが言わなかったらわたしが言ってたよと言ったらわたしもどやされたことは記憶に新しい。そういえば、そうだ。


「でも、雅人くんそういうの言ったことないよ」


 これに尽きる。わたし今まで、雅人くんにそういう、恋人っぽいことをしたいって言われたことないや。そもそもとして付き合い始めたのだってわたしの告白が始まりだった。雅人くんもわたしのことすきだと思ってくれてるのは間違いないと思うけど、どれくらいすかれてるのかはよくわかってない。だから今のところ、そういうのはしないほうがいいと思うな。


「たしかに影浦くんは言わなさそう…」
はそういうのしたいって思わないの?」
「思わないかも」


 そう肝心のわたしが思ってない。あんまり考えたことないや。雅人くんとは楽しいし落ち着くからずっと一緒にいたい。くっつくのはすきだけど、そこまでで、特別恋人だからしたいことってないかも。わたしがしたいと思ってるって、雅人くんにも指摘されたことないし。
 素直に答えると二人はちょっと驚いたみたいだけれど、妙に納得したように苦笑いを浮かべた。


「まあ、二人がいいなら無理にする必要はないけどね」


 摩子ちゃんがそうまとめ、話は終わった。二人が箸を動かし昼食を再開させる中、一人お弁当に目を落とす。もしわたしが恋人みたいなことしたいって言ったら、雅人くんは応えてくれるんだろうか。



◇◇



「ゾエ」


 聞き慣れた声にパッと教室の入り口へ顔を上げると、廊下から顔を出す雅人くんが見えた。放課後のホームルームが終わってすぐのことだったので、雅人くんも終わってすぐB組に来たのだろう。目線は最後列の席に座る北添くんに注がれており、呼ばれた彼ははいはいと言って立ち上がった。机の脇にかけられていた紙袋を持って雅人くんの元へ向かうのを、何となく目で追う。


「はいこれ」
「おう」
「返すのいつでもいいよ」
「ん」


 そのやりとりに、漫画の貸し借りだ!とピンと来る。雅人くんがいろんな人とそれをしていることは知っているし、ときどきご相伴にあずかることもある。きっと間違いないぞ。珍しく察せたわたしは雅人くんが逃げないうちにガタンと席を立った。何より、ここで北添くんの漫画を受け取るということは、今日はボーダーに行かないと言ってるようなものだ。一緒に帰ろうって誘おう!


「影浦くん何借りたの?」
「あ?」


 あっ。スクールバッグをひっ掴んだ手がピタリと止まる。廊下から、雅人くんとドアの間からひょっこり覗き込む女の子が見えたのだ。見覚えのある顔だけど一度も同じクラスになったことがない子だ。名前がわからず、あの子かな?とかろうじて辺りをつける程度の人だった。その子は首を曲げ、雅人くんの手にある紙袋を覗き込んだ。
 雅人くんとの距離が縮まる。


「――!」


 次の瞬間、雅人くんがこちらを向いた。あまりに突然のことだったので、反射的にビクッと固まってしまう。さっきまで一度も見てくれなかったのに、迷うことなくわたしを見つけたのだ。きっと意識が届いていたからだ。わたしだってことは気付いてたんだろうか、驚いたように目を見開いている。


「……」
「あー、これ面白いんでしょ?わたしも読みたい」
「カゲの次に貸そうか?」
「ほんと?ありがとう北添くん。じゃ影浦くん、次よろしくね」


 にこっと笑った女の子はそれから、二人にばいばいと言って教室を通り過ぎていった。じゃあねと手を振る北添くんとは対照的に、女の子を一瞥だけした雅人くんはまたすぐにこちらに顔を向けた。それから、動けないままのわたしへ、空いてる方の左手を胸の高さまで挙げて手招きをした。弾かれたように駆け寄る。足元が変にふわついていたので、こけないように足に力を入れる。入り口で待ったままの雅人くんと北添くんの元へ辿り着く頃には、手招きしてくれた左手はスラックスのポケットにしまわれていた。


「ま、雅人くん」
「…おお」
「……い、一緒に帰ろー」


 呼んだくせに雅人くんが言いたいことはなかったらしく、結局わたしから帰りのお誘いをした。「おお」雅人くんは二つ返事で了承してくれたけれど、なんとなくきまりが悪くて、雅人くんの目から逸らして床まで目線を下げてしまう。……わたしは今何を思っているんだろう。女の子が雅人くんに話しかけたあたりから、心臓を撫でられてるみたいに落ち着かなくて、うまく息ができない。ああ、でもこれはちょっと、わかる気がするぞ。
 雅人くんの舌打ちが聞こえたと思ったら、顎に引っ掛けていたマスクを口まで上げたらしい。見上げるとそっぽを向かれて、ええ、なんで、と思う。すぐに、自分が今雅人くんが顔を背けるような感情を送っているんだと気付いた。のだけれど、困ってしまう。雅人くんに嫌な感情を刺してしまってるのかもしれないのにどうすることもできないのだ。
 無意識に眉を下げていた。せめて雅人くんを見ないよう北添くんへ向けると、彼はわたしと一度目を合わせたあとすぐに雅人くんへ向けた。表情はにこやかで、どこか微笑ましげだ。


「見んなクソ!」


 語気を強めて北添くんに肩パンしたと思ったら、雅人くんが踵を返して階段の方へ歩いて行ってしまうではないか。大股で進む雅人くんに置いてかれないよう慌てて駆け出す。「またね〜」雅人くんのパンチを食らったにも関わらずへらっと笑う北添くんに手を振って、彼を追いかけた。

 誰かに撫でられていた心臓の気持ち悪さは校門をくぐる頃にはすっかりよくなっていて、雅人くんも普段通りの歩幅で歩いてくれていたので隣に並んで帰路につくことができていた。さっきの、あんまりいい気持ちじゃなかったな。ざわざわとした胸騒ぎは、いつの日か雅人くんと喧嘩したときの気分と近かった。心配することないのにね、わたしと雅人くんは恋人なんだから。もう雅人くんを遠くに感じることもないはずなのに。


「妬いてるみてーだったぞ、さっきのおまえ」


 ぼそりと呟いた雅人くんを見上げる。マスクはまたあごに引っ掛けられていたけれど、目は合わせてもらえず、まっすぐ前を見ている。


「そうかあ…」


 指摘は間違いなく正解だ。わたしはあの女の子に嫉妬したのだ。しょうがないよね、雅人くんのことすきなせいだから許して。なんて自分勝手な言い分を思いついて気の抜けた笑い声が漏れると、なんだよキメーなとぶっきらぼうに言われた。

 あるいはすきだと当然そういうことをしたくなるんだろうか。手を繋いだり抱きついたりしたいとはよく思うけど、それ以上のことは、やっぱり想像できないや。


「雅人くんって、恋人っぽいことしたいと思う?」
「ハア?」
「わたしたち幼なじみから変わってないんだって」
「……」


 突拍子のない話題だった。でもこんなことは雅人くんとしゃべってるとよくあるからいいと思う。雅人くんも突然話が変わったこと自体に文句を言うことはなく、沈黙したままわたしを見下ろしていた。目を細めて、何かしらを読み解いているようだ。
 わたしといえば、言っておきながら内心びくびくしていた。理由はわからない。けれど、変なこと聞いちゃったということだけは漠然と感じていた。なにせ自分が全然想像できてないのだ。これで雅人くんが、わたしの求める答えと違うことを言ったらどうしよう。
 雅人くんはわたしの大事な幼なじみだ。それで、最近恋人になった。大丈夫、雅人くんもわたしと同じことを考えてる、大丈夫。半ば念じるようにそんなことを考えていたら、雅人くんはふんと鼻を鳴らして正面に向き直った。


「べつに思わねえよ」


「そっ……そうだよね!」安堵で思わず大きな声が出てしまった。だってまさに求めていた答えだったから。わたし今が十分楽しくて幸せだから、なんだかこれ以上くっつくのはまだまだ、大変だと思う。雅人くんも同じでホッとした。
 よかった、と無意識に声に出していた。そのことを自覚するのと同時に、雅人くんはハッと笑い飛ばした。

 えっ、と瞠目する。雅人くんのそれが、直感的に、自嘲の笑みだと感じてしまったのだ。


「も、もしかして無理してる…?」
「あ?してねえよ」
「そう…?」
「……いっちょ前に考えるようになったなあ、バカ」


 呆れたように目を細める雅人くんに、不満げに口を尖らせる。もしかしたら、わたしがそういうのしたいとは思ってないってわかったから、雅人くんも合わせてくれたんじゃないかって思ったのだけど。雅人くんは意地悪なことが多いけど、昔から幼なじみ想いの男の子だってことはわたしが一番よく知ってるから。
 でもさすがに杞憂だったみたいだ。なんだ、と肩を落とす。いや安心するべきところなんだけれども。それに、もしそうだったら雅人くんがわたしと恋人っぽいことをしたいと思ってることになる。……びっくりするほど想像つかないなあ!のん気にそんなことを考えていると、雅人くんはわざとらしく顔をしかめたと思ったら、わたしの額に手のひらをくっつけてきた。


「こちとら何年もおまえの友愛で満足してんだ。こんなもん無理の内に入んねえな」


 そう言うなり、手のひらで前髪から脳天にかけてわしゃわしゃとかき混ぜた。うわあとぼさぼさになった前髪を慌てて手櫛で直す。直しながら、ふんと満足げに鼻で笑ったのが聞こえ、首あたりがカッと熱くなった。
 熱が頬に到達する頃には心臓もどきどきと高鳴っていた。髪をぼさぼさにして誤魔化したつもり、なのかな?今雅人くん、とんでもないこと言わなかった?まるで何年も前からわたしのことすきだったみたいな言い方だった。都合よく受け取ってるのかな、そういう意味じゃないのかな。でももしそういう意味だとしたら、わたし、天にも昇る心地だよ。おもむろに雅人くんを見上げると、今度は彼の身体が大げさに固まったのがわかった。


「こっち見んじゃねえ…」
「だって雅人くん、今のどういう意味?!聞いたことない!」
「言うわけねーだろバカ」


 本当に見られたくないらしくスクールバッグを顔面に押し付けられてしまう。すぐにそれは離れたけれど、潰された鼻が痛い。でも心は喜びに満ち溢れたままだ。雅人くんが前からわたしのことを特別に思ってくれていたのだとしたら、なんて嬉しいことだろう。そのうえでわたしに合わせてくれてるの、これを喜ばずにいられないでしょう。要望通り見ないように進行方向を向くけれど、にやけてしまうのを抑えられない。


「……雅人くん、わたしがそういうのしたくなってるって感じたら言ってね」
「そういうのって何だよ」
「恋人っぽいこと!」
「言ってて恥ずかしくねえのかおめーは」


 呆れたように肩の力を抜く雅人くん。今そういう話をしてたんだけどなあ。とても大事な話でしょう。


「つか、それだと俺の言いなりになんぞおまえ」
「大丈夫、雅人くんのこと信用してるから!」


「……だからそれが…」言い淀んだ雅人くんは、結局最後まで述べはしなかった。何か言いにくいことだろうかと顔を上げるも、眉をひそめた悩ましげな雅人くんの目と合うのに、あいかわらず胸の内を察することはできなかった。はあ、と大げさな溜め息をつかれてしまう。


「せいぜい騙されねえよう気ィ付けろよ」


 雅人くんにならいいよって言ったらまた呆れられるかな。雅人くんがしたいなら、恋人っぽいことに挑戦してみるのもいいかもしれないなあ。



きみのためかもね(200725)
title:金星