わたしが渾身の告白をしたとき、二宮くんは眉間にしわを寄せ、そう、嫌そうだったのだ。


 ガコンと自動販売機から落下したペットボトルを二本、受取り口から取り出し、一つはすぐにカバンにしまう。せっかくの冷たい飲み物がわたしの体温でぬるくなってしまうのを防ぐためだ。


「二宮くんの分も買ったの?」


 聞こえた声にくるっと振り返ると、友だちの望ちゃんがこちらを見下ろしながら階段を降りてきていた。ピンクベージュのニットワンピースを上品に着こなした彼女はその上からコートとマフラーを身にまとい、装いは冬のそれで間違いなかった。暖かさとオシャレを兼ね揃えた望ちゃんのファッションセンスには毎日舌を巻くよ。美人でスタイルのいい望ちゃんだからこその着こなしなので参考にはしないのだけど、洋服は自分に合ったものを着るべきだなってしみじみ感じさせられる。ちんちくりんなわたしはそれ相応の洋服を着るべきなのだ。望ちゃんみたいな洋服は、憧れるけど、憧れに止めとくべきっていうのもひしひしと感じる。

 自分相応のお洋服、相応の振る舞い、……相応のすきな人。

 思考の旅に出かけたわたしを引き戻したのも望ちゃんだった。たまたまわたしの一連の様子を目撃した彼女は一階に降り立つとそのままツカツカと歩み寄ってくる(高いヒールがよく似合うこと!)。彼女がそばで立ち止まったところで、ハッと我に返った。


「うん!二宮くんとここで待ち合わせしてるんだー」
「そう。…それ、のおごりなの?」
「え!さすがにこんなのでお金取らないよやだなー…!」
「そうよねえ。だと思ったわ」


 望ちゃんはどこ吹く風といったようににこにこと綺麗な笑顔を見せる。あえて聞くようなことだったろうかと疑問に思いつつ、右手に持ったままだったもう一本のペットボトルをひねって口に含んだ。二宮くんのために買ったのと同じジンジャエールだ。大学構内といえど教室以外は暖房がなく寒いままなので、この季節ならそこそこおいしい温度で飲めると思うのだ。昔は特別すきではなかったけれど、二宮くんの好物だと知ってからなんとなく飲むようになった。口に含んだ途端弾ける炭酸がしゅわしゅわと痒くて、二宮くんもこういうのがすきなのかなあと思うと飲むたび笑顔になれるのだ。


「ねえ。あなた二宮くんを骨抜きにした女だってボーダーで噂になってるのよ」


「んっ?!」ペットボトルに口をつけたまま喉で声を出してしまう。望ちゃんの突拍子もない話題に驚いたのだ。驚きつつもなんとかむせずに飲み込んで、「ふうー…」一息つく。……骨抜きって、びっくりした。いや、それよりこんなことで噂にされちゃう二宮くんの注目度がすごいのか。


「骨抜いてないよ」
がそう思ってるだけよ」
「勘違いじゃないよう。だってわたしが告白したとき、二宮くん嫌そうな顔してたんだよ」
「あら、告白したのってからなの?」


 今度は望ちゃんが目を丸くする番だった。うんと流暢に頷くと彼女は綺麗な白い手を自分の頬に当て、んー、と、どこか考えるような素振りを見せた。言ってなかったっけ。わたしと二宮くんが付き合うことになったきっかけ。最近バタバタしてて、付き合うことになったよとは報告したけど、そこに至ったくだりは話してなかったかも。ちょっと前までは、どうすれば二宮くんとお近づきになれるかたくさん相談してたんだけどね。なんとなく居た堪れなくて手いじりする。ああ、冷たいの持ってたから指先が寒くなってきた。手袋つけたいな。「それは」顔を上げる。


「ちょっと二宮くんの気持ちがわかるかも」


 望ちゃんはやっぱり笑顔を浮かべていた。


◎◎◎


「二宮くんおつかれさまー」
「ああ」


 望ちゃんと別れてしばらくしてから、講義終わりの二宮くんがやってきた。一限から四限までずっと講義を受けてたから本当にお疲れだろう。「これあげる!」なので労わる気持ちと元気になってほしい気持ちをこめて、カバンにしまっておいたペットボトルのジンジャエールをあげたのだ。


「……」


 すると二宮くん、顔をしかめてしまったではないか。(あ、)それはまさに、一ヶ月前に告白をしたときの彼みたいで、途端に悪い予感に襲われた。
 あのときは、振られると思った。二宮くんが作った表情はまさしく良くない反応で、残念な結果を予想せざるを得なかった。わたしはそれまで、すきな二宮くんに話しかけたりいろいろ頑張ってて、二宮くんのほうも会ったらあいさつしてくれたり、お食事に誘ってくれたりするようになってたから、勝手ながら頑張りが報われたんだと思って、告白したら上手く行くんじゃないかって思ったのだ。だから二宮くんの反応はある意味予想外で、すごく恥ずかしくなった。穴があったら入りたいそんな胸中だ。だから、目の前の二宮くんが目を逸らしながら了承してくれたときは逆に驚いてしまった。


「悪いな」


 今回も二宮くんは結局、消化不良みたいな顔で受け取ってはくれた。明らかに何かを思ってるのに口にはしない。わたしを気遣ってくれてるのかもしれない、けど、もしかしたらもうすでに途方もなく呆れてるのかもしれない。それにこんな、二宮くんばかりに我慢させるのは、いずれ破局を招くのでは…。後ろ向きな考えが脳内を占める。二宮くんが言わないんなら、自分で察せなきゃ。俯き、彼の手にある未開封のジンジャエールに目を落とす。……あ。


「もしかして冷たいのやだった…?ごめんコーヒーとかにすればよかった…」
「…違う。そんなことは気にしてない」


 違った。察しが悪いなあ自分…。「早く帰るぞ」それをすぐカバンにしまった二宮くんに促され歩き出すも、心は晴れなかった。

 ときどき、二宮くんはわたしの告白に対して、嫌々応えてくれたんじゃないかと考えてしまう。そのくらいあのリアクションは衝撃的で、でもよくよく思い出すと二宮くんの嫌そうな顔は親しくなった頃からちょくちょく見ていたことに気付かされた。つまりわたしのことをあまり快く思ってないのだ。
 その結論に達するたび、保身のため醜いバリアを貼る自分が堂々と首を傾げる。「二宮くんは嫌いな人のためにわざわざ時間を割いたりしないはずだ」と。

 自動ドアをくぐり寒空の下に出る。あまりの空気の冷たさに鼻の下くらいまでマフラーに埋め身震いしながら歩いていく。手袋ちゃんと持ってきてよかった。もう防寒具が一式必要な季節だ。一人で歩くなら耳当ても欲しいところだけど、二宮くんや望ちゃんと帰るときには邪魔だからなあ…。考えながらふと目を落とすと、隣を歩く二宮くんの手が目についた。手袋も何もしてない、むき出しの手だ。それはすぐにトレンチコートのポケットに隠れてしまったけれど、わたしは彼の冷たそうな手がどうしてだか気になってしまって、ハッと思いついたときにはすぐに行動していた。両手にはめていた自分の手袋をスポッスポッと取る。


「はい!」
「……なんだ」


 脱ぎたての手袋を差し出すと案の定二宮くんは怪訝な顔をした。意図はそう簡単には伝わらない。


「二宮くん寒いでしょ、わたしの手袋使って!」


 さあと言わんばかりにずいっと差し出す。二宮くんの寒そうな手を温めてほしいと思ったのだ。わたしは一人で二宮くんを待ってる間ずっとつけてたし、冬でも手は比較的あったかいほうだ。このくらいなら全然我慢できる。それに脱ぎたての手袋は今ならあたたかいはず。我ながら名案をひらめいたわたしはにこにこと笑顔を輝かせていただろう。さあこれで暖を取ってくれ二宮くん!


「……」


 しかし二宮くんは、例の、嫌そうな顔をしてしまったのだった。う、と身体が固まる。嫌だった、かな…わたしの毛糸の手袋、白くてあんまり可愛くないし、指先も余裕あるから手の大きい二宮くんでもそこまで小さくないと、思うのだけど。ああでも現に二宮くんは嫌そうだ。失敗した。「あの、ごめ…」動かしたままの足が無意識に右に逸れる。車道側を歩く彼から距離を取ろうとしたのだ。バツが悪くて近くにいるのが申し訳なかった。二宮くんの琴線を察せない奴め。ああだから、自分は二宮くんに相応しくないと、思ってしまうのだ。


「手袋はおまえがつけろ」
「は、はい…」


 小さくなりながらすごすごとはめ直す。二宮くんの声は思ったより冷たくはなかったけれど、眉をひそめた嫌そうな顔が焼き付いてわたしを萎縮させていた。そんな顔をさせたかったんじゃないのに。はめ直した手袋は生暖かくて複雑な心境だ。情けない気持ちでいっぱいになりながら、黙ったまま両手のひらを眺めていた。
 と、横からべつの手が伸びてきた。それが二宮くんの手だと理解するより先に、わたしの左手が上から引っ掴まれた。そのまま下へと降ろされる。それだけ。でもその行動が示す意味に驚いて声も出ない。反射的に顔を上げると、澄ました表情の、いつも通りの二宮くんの横顔が、見えた。


「おまえにばかりいい格好はさせない」


 彼の口から聞こえたのはそんな言葉だった。いつも通りの低い声だったけれど、そう言った二宮くんの手に少し力がこめられたのを手袋越しに感じ取れてしまう。歩みは止めず、繋がれた手も離れる気配はない。「二宮くんの気持ちがわかるかも」呆気にとられながらも、わたしは唐突に、先ほどした望ちゃんとのやりとりを思い出していた。



「ほんと?」
「あなたときどき大胆というか、かっこいいことするわよね」
「え、そ、そうかな?」
「わたしはのそういうところもすきだけど…」
「…?」
「二宮くんは、それじゃあ嫌なんでしょう」



 しっかりと握られた手があったかいを通り越して熱くなる。顔も火照って仕方ない。
 望ちゃんこういうことでしょうか。



君からのプロポーズ(161204)
title:金星