ピッピッ、ピッピッ、ピッピッ、ピッ…

 コンピューターの傍らに置かれた電子時計が、日付変更線を超えたことを控えめに教えてくれた。ゼロが四つ並んでいる、必要最低限の数字の羅列と一文字の漢字。…これが表す意味とは一体──ここまできてもう自分は駄目だと思った。意味も何も暦と時刻だよ、暗号でもなんでもないんだよ。
 もうダメだと言わんばかりに天を仰いだが、電灯があまりにも眩しくてすぐに右手で両目を覆った。指に力をいれて影を作ってもなお、隙間から光が漏れてくる。最近のLEDの発光力はとんでもないな。

「外の空気吸ってきたら?」
「………そうします」

 そんな私の姿を見かねた雷蔵さんが気分転換を提案してくれた。そこは帰宅命令出すところじゃない? そんな悪態を言語化する元気も集中力も既に失っていたので彼の提案通り、大人しくコンピューターの前から離れることにした。






「さっっっむ…!!」

 刺すような風を一心に受けてから、雷蔵さんのいう『外』が『開発室の外』という意味を表していたことに気が付いた。
 大人しくラウンジであたたかいココアでも飲みながらリラックスすればいいものを、私は馬鹿正直に屋上まで来てしまった。これではつめたいココアを飲む羽目になってしまう。リラックスどころか緊張状態に陥っているが、不意を衝いた冷気のおかげで頭が冴えてきたような気もする。澄んだ酸素を取り込める環境のおかげもあるだろう。
 開発室は常に空気が籠もっている。開発室の人間は分析か開発に没頭し過ぎると、換気の重要性を時間の経過とともに流してしまうから誰も空気の入れ替えを提案しようとしない。無限ループだ。

 何かに凭れながら休憩をしたくて、三門市の灯りに誘われるようにして屋上の縁に近づいた。そこには先客がいた。

「………こんな時間でもここにいるの?」
「それ、俺の台詞でもあるんだけど」

 縁に凭れながら少し離れたところでヤンキー座りをしていた迅にぼそっと問いかけると、すぐにブーメランが返ってきた。お前と一緒にするなと差別化を図るために、雷蔵さんの言葉を真に受けてここまで来たことを説明したら「何日目?」と聞かれた。どうやら迅には私の意図が届かなかったらしい。

「え……わかんない。少なくとも三日は寝てない…かも?」
「…頼むからそこから落ちないでね。まあ、それがわかっててここで待機してたんだけどね」
「………」
「はいはい睨まない、睨まない」

 睨まざるを得ない。どうどうと言うように両手を胸の前に掲げて、こちらに目を細めた笑みを向けてくる。馬と同等か私は! 私がここに来ることやその先のことを迅は知っていたなら、先ほどの応酬をわざわざする意味はあったのか? 流石に私が三日寝てないことまでは把握してなかったようですごく微妙な顔をされたが、いつも一枚上手な彼にそのような表情をさせたことはちょっと優越感。
 ビル風が強く吹いたことで、私の意識は迅から手中の紙コップに向けられた。それはもう暖をとるほどの温かさを失いつつあった。つめたいココアと化する前に飲み切ってしまおうと、中身を一気に仰げば口内に甘味が広がる。ラウンジの自販機のココアは味が薄いとよく言われるが、私にとったら丁度良い。
 紙コップの底が見えたことを確認してから、反った上半身を元に戻すと視界は再び三門市で埋められた。

「これも暗躍のうちに含まれるの?」
「それを聞いちゃあダメでしょ」

 呆れたように迅は笑った。確かに、聞いてしまっては暗躍の意味がない。
 この後何事もなかったかのように開発室に戻れば、仲間たちは単なる休憩から帰ってきたとしか思わないだろう。私だってそうだ。三門市の情景を見ながら一服したらすぐに開発室に戻るつもりでいた。なんてことない休憩だ。それが現在進行形で続いているのは、隣で飄々としている彼が隣にいるから。

「でもまあ、種明かししちゃってる時点で確かに意味ないけどね」

 “目の前の人間の少し先の未来が見える”らしいが、ふと、直近で私はこいつといつ顔を合わせたっけか? と気になった。ここ数日の記憶を掘り起こすが思い出せない部分もあって所々で場面が飛んでしまう。…そういえばあの時、開発部に顔を出していた気がする。
 ぼーっと夜の三門市を見渡していると、学び舎のグラウンドが目に留まった。機能上、土地を大きく陣取る必要があるから簡単に見つけることができる。誰かの家を探すより圧倒的に難易度が低い。

「ちなみに私はいつ家に帰れる?」
「……知りたい?」
「…やめとくわ」

 どうやらまだ家には帰れないらしい。こんなことで迅の能力に頼ったらバチがあたりそうだが、全てを背負い込んでいるこいつにはこうした戯れも必要なんじゃないかと思う。迅は迅で、一部の女性職員・隊員を巻き込んで楽しんでいることがあるし、私が気に掛けるまでもないのかもしれない。

「ハァ〜〜…そろそろ戻るかなあ」
「お勤めご苦労サマ」
「迅もね。ちゃんと寝なよ」
が戻ったら玉狛に帰って寝るよ」
「ほんとにぃ? あやしい〜」
「ほんとほんと」

 数分前と同じように、目を細めて笑った顔をこちらに向けてきた。この後の展開がわかるのも迅だけだから疑ったところで意味はないのだけれど、疑わずにはいられなかった。



ミッドナイトとおたずねもの(191016)
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