「今日の当番、だったのか」
「うわっ!?」
「大丈夫か」
「う、うん…おかえり、京介」

 ドキッ。
 台所にいる私を見て声をかけてきた京介と、突如としてこの空間に顔を出した京介に驚いて思わず手中の皿を落としかけた私。
 京介が私を驚かすために気配を消していた訳でも、勢いよく扉を開けて入ってきた訳でもない。私が考え事に耽ってしまい、京介が帰ってきたことに気が付かなかったのだ。吃驚して口から心臓が出るかと思った。
 「ただいま」と言いながら京介は私の目の前に座り、更にドキドキと心拍数が跳ね上がる。
 こうして京介が夜遅くのバイトを終えて玉狛に直帰する時、彼はテーブルではなくカウンターに座ることが多い。

「他のみんなは?」
「みんな本部に行ってたり任務だったり。陽太郎ももう寝てるよ」
「そうか」
「みんながいないと静かでだから、さっきはビックリしちゃった」
「確かに。静かだな」
「…ま、待ってね、今ご飯温め直すから」
「わるいな」

 京介に背中を見せながら、冷蔵庫から彼用のおかずを取り出してそのまま電子レンジに入れる。その間に味噌汁を温め直し、保温状態の炊飯器を開けて京介用のお茶碗に白米をよそう。
 こんな時間に盛りすぎたかなと思ったけど京介は男の子だし、育ち盛りだから問題ないか。プチ失態は炊飯器の中に仕舞うことにした。
 炊飯器の蓋を閉じたタイミングで電子音が温め終了を知らせる。あえてそれを無視して味噌汁を優先したのは後ろめたさと自信がなかったからだ。だがいつまでも無視はできないため、結局最後に取り出して京介の前に出した。この時点でもう心臓は大暴れだ。

「今日、とんかつだったのか」
「…ううん。今日はカレー」
「え」

 京介の目が僅かに見開いた。私の言葉で、彼の師匠であるレイジさんから譲り受けた仏頂面が少し剥がれたのだ。それは好物のとんかつが出てきた嬉しさからか、わざわざ自分のためだけに私がとんかつを用意したからか。前者でも後者でも嬉しいが、素直に喜べないのは全て私に原因がある。
 何も言わず、食べてみればわかるとソースを京介に差し出す。彼はそんな私の様子が気になるようだが、目の前にある好物の誘惑に適わなかったのかすぐにソースに手が伸びた。

「とんかつは、とんかつなんだけどね…?」
「うん」

 京介は慣れた手つきでとんかつに色を加えてから箸に持ち替える。
 箸の持ち方が綺麗だなあといつも思う。自分の持ち方が少し独特だから余計に。

「またの名をミルフィーユカツとも言う、かな…」
「うん」

 京介の誕生日を忘れていた。

 そのことを思い出した頃には買い出しに行く時間すらなく、あり合わせで作れたのがこれだ。
 何か物をプレゼントするという選択肢もあった。京介はきっとどんなものでも受け取ってくれるだろう。だからこそ、じっくりプレゼントは選びたかった。彼の誕生日を忘れていたことへの焦りと罪悪感に駆られた状態でそんなことできる訳がなく、ならばせめて彼の好物を食べてもらいたいと思い立った折衷案がこれである。
 とんかつ用の豚肉が今日に限って売り切れていたことに関しては、もう自分の運の悪さを呪う他なかった。

「京介、この前誕生日だったでしょ」
「…ああ、」

 ようやく自分の晩御飯だけ特別な理由に合点がいったようだ。京介はそれ以上何かを続けることはなく、とんかつを食べ続ける。
 賑やかな空間を作り出してくれるテレビはうんともすんとも言わない。サク、サクという咀嚼音と秒針が時間を刻む音が絶妙にかみ合って響いている。

「私、忘れてて。…ごめんね。あり合わせで作れたのがそれで」
「別にいい。それに、こうやって俺の好物を作ってくれたし」
「……お、おいしい?」
「うまいよ、ありがとな」

 先ほどから箸を口に運ぶ手が止まらないから本当のことなんだろう。ホッとした。
 誕生日プレゼントは後日用意すること、とんかつもいつかリベンジさせてほしいという心の内で渦巻いていた後ろめたさを謝罪として形にできたことに安心し、目の前に京介がいるにも関わらず大きなため息をついてしまった。それだけ息が詰まる思いを抱えていたようだ。

「実はがとんかつ用意してくれてるって知ってたんだ」
「……え!?」
「バイト終わりに携帯開いたら、小南先輩からメール来てた」
「きっ桐絵ちゃん…!? あれだけ言わないでって言っておいたのにっ…!!」
「あと、宇佐美先輩からも来てたな」
「栞ちゃんまでっ!?」
「まあ、ウソだけど」
「うっ…!?」

 相変わらずのポーカーフェイスで口をもぐもぐさせながらご飯を食べ続ける京介。視線は決して交じり合わない。いつの間にか味噌汁と副菜も食べ終えており、「ごちそうさま」と行儀よく両手を合わせていた。
 な、なんで嘘をつかれたんだ私…?
 唐突な嘘に身体と思考が止まり、カウンター越しにいた京介は気が付けばその隔たりを超えて食器を持ち台所まで入ってきていた。洗うからいいよと慌ててスポンジを奪おうとするもこれぐらいはすると言って頑なだ。仕方がないので京介が洗い終えた食器を拭くことにした。

「ウソついてごめん」
「えっ」
「これはそのお詫び」

 これ、というのは食器洗いのことを指しているのだろう。
 カチャカチャ、ワシャワシャ。食器同士がぶつかる音と泡のついたスポンジで汚れを落とす音が控えめに鳴る。割れないように気を遣ってくれているようだ。

「自分で思ってたよりも、に誕生日祝ってもらえなかったのがショックだったみたいだな」
「…ほんとうにごめ、」
「だからあんなウソついた」

 「ん」と言い切れず、「め」の口の形のまま固まってしまった。
 京介の中で占める私の存在の大きさを知った途端、急激に顔に熱がこもりはじめた。京介は愛情表現を言葉で示すことはあまりないので、これは心臓に悪すぎる。
 完璧な容姿と師匠から譲り受けた仏頂面のおかげでクールさに磨きがかかって大人っぽいと思われがちな彼の、年相応らしい一面を直に真正面から喰らってしまった。
 目を合わせてくれなかったのは嘘をついた後ろめたさがあったからか、拗ねていたからなのか。少し欲深くなってしまったので、直接確認してみたくなった。

「…拗ねてたってこと?」
「………かもな」

 京介はこちらを一瞥してから間をおいて曖昧な返事をし、それを打ち消すように蛇口から勢いよく水を出し始めた。しかし、水の勢いが良すぎて丁度蛇口の下に重ねて置いていた食器に跳ね返り、水が京介だけでなく隣にいた私にも被弾した。おかげで、自業自得で再び顔に集まりかけていた熱が少し冷やされた。



ごちそーさまです後払いでいいですか?(200520)
title:確かに恋だった