宝石はあとでいい」>>



 個人ランク戦ブースで緑川くんと駄弁る米屋くんと出水くんを引きずり出すことに成功したわたしたちはついに、悲願の勉強会を決行するのだった。

 ラウンジの窓際のソファ席に腰を下ろし、四人で向かい合う。窓側から三輪くん、わたし、反対の窓側から米屋くん、出水くんが座っている。外はいい天気なので午後三時の日差しもさんさんと降り注いでいるけれど、基地は全空間快適な温度で保たれているし、いざとなればトリガーを起動すれば気温なんて関係なくなるので問題なかった。
 休日に高校生四人がなぜ顔を突き合わせているのかというと、もちろん、夏休みの宿題を片付けるためだ。五教科分のプリントや問題集を持ち寄って答え合わせするのだ。宿題は始業式の日に提出することになっているのだけれど、手抜きを抑止するためあまりに正答率の低い生徒には教科によっては補習が用意されているのだ。そのため、個人ランク戦に没頭したい米屋くんといえども、八月の最終週となった今、泣く泣くわたしたちに引っ張られたというわけである。

 わたしと三輪くんがコンビニで適当に買ってきたお菓子は真ん中に広げ、各々買った飲み物を手元に置き勉強会が始まる。さっそく出水くんがチョコに手を伸ばし、わたしと米屋くんが対角線をつなぐようにポテトチップスをつまむ。三輪くんはというと隣で、ホチキスで留められた古典のプリントを広げていた。


「古典から片付けるぞ」
「うん!」
「おー」
「とかいって米屋真っ白じゃねーか」


 この時間は一応、事前に各自で宿題にチャレンジした上で、答え合わせをする会という位置付けだ。けれど予想通り米屋くんのプリントは真っ白だし、それを指摘した出水くんも最初の方で筆が止まったようだ。出水くんは頭悪くないはずなのにそれってことは、途中で飽きたか何かで自発的に止めたのだろう。三輪くんも呆れた表情を隠してないよ。


「もー二人ともやってきてって言ったじゃん!」
「おれはこの場でもできっから」
「だって答え合わせするんだよ?!」
「三輪との答えが割れたらおれがジャッジしてやるよ」


 キラーンと決める出水くんに、そんなに言うならと渋々引き下がる。三輪くんも溜め息をつき、「問一、」と早々に答え合わせに入るのだった。

 三輪くんの読み上げる解答にひたすら相槌を打っていく。ときどき、出水くんが「A? Bにしてたわ」と自分のプリントに消しゴムをかけたり、ひたすら書き取っていく米屋くんが「もっかい言って」と記述式の答えの復唱を要求したりしていたけれど、比較的スムーズに終わったと思う。わたしとしても消化試合だったのだ。
 二十分もかからず最後の問題まで答え合わせが済むと、「次は英語だな」と三輪くんが手早くプリントを入れ替える。それに倣ってわたしもファイルから探し始めた。


、三輪と答え全部同じだったん?」


 出水くんがジュースを飲みながら放った問いかけに内心ドキッとする。そう、今の時間わたしは一切意見せず頷いていただけだったのだ。プリントを探す手を止め顔を上げる。……何て返そう。


「あ、うん……」
「それほど難しくもないだろ」


 スパッと遮るように言い切った三輪くんに振り向く。(……?)横顔は普段通り静かだったけれど、彼の台詞はちょっと不可解だった。追及しようか逡巡し、結局「そりゃおれに対するイヤミか」との出水くんの切り返しに「こいつの得意科目だぞ」と言ってくれたのが嬉しかったので、口を挟むのはやめにした。

 そのあとの英語もつつがなく終わり、次の化学ではせめてこれくらいはと言って米屋くんに中心になってもらって解いた。今までにやったことのあるような問題だったのが幸いしたのか、勉強が全体的に残念な米屋くんでも二時間をかけて何とか戦い終えることができた。
「残りは物理と数学かー」ポテトチップスをつまむ出水くんは長丁場なこの会合にそれなりの疲れを見せていた。米屋くんに至ってはテーブルに突っ伏している。


「もう六時か」


 三輪くんは左手首にはめた腕時計を見て言い、それから右手でテーブルに広げられた一口サイズのチョコチップクッキーをつまんで頬張った。無意識にそれをじっと見つめる。三輪くん、古典と英語のときはほとんどしゃべり通してたけど、化学の時間では米屋くんの奮闘を見守っていたので比較的手が空いていた。だからお菓子をつまむこともあったのを、わたしは見ていた。
 その中で、比較的クッキーを手に取る割合が高いように思える。一番近くにあるからかもしれないけど、もしかして三輪くん、お菓子ではクッキーがすきなのでは?
 推測からの結論に辿り着いた途端にやけてしまいそうになる。三輪くん、かっこよさだけじゃ飽き足らず、かわいさまで磨いてくるとは、なんて恐ろしい男の子だ! コンビニに一緒には行ったけれどお菓子を選んだのはわたしなので、お昼のわたしグッジョブと言わざるを得ないだろう!
 とにもかくにも、そんな三輪くんの新しい一面を発見したわたしは、話題が「残りの科目の効率よい分担方法について」になっていることに気付くのが遅れてしまった。


「でもは? なあ?」
「えっ?」
「数学。三輪に教わりたいだろ?」


 出水くんの問いに、とっさに、あーと間抜けた返事をしてしまう。数学、三輪くんに……そりゃーできることなら、何度だって教わりたいけども。でもさっき三輪くんが言った通りもう六時だし、夏とはいえ七時を過ぎたら暗くなるし、長ければ長いほど疲れも溜まる。早く終わらせるに越したことはないだろう。
 それに、と自分の数学のプリントを思い起こす。びっちりと書き込まれた途中式と、間違ってる気がしない答え。あれはもう先週のことだった。口をぎゅっと閉じ、首を横に振る。出水くんと米屋くんが目を丸くする。


「ばっちりだから大丈夫」
「マジ? オレと補講組だったじゃん」
「てか数学苦手っつってなかった?」


 二人の驚きっぷりにちょっと得意げになってしまう。米屋くんの言う通り前期の期末テストで赤点を取って補講を受けたし、出水くんの言う通り数学が大の苦手だ。けれど見たまえ! と言わんばかりに完璧なプリントをファイルから取り出し勢いよくテーブルに置いてみせると、二人はおお、と口を開いた。
 ちらっと三輪くんを見ると目が合う。それはすぐに逸らされ、米屋くんの数学を三輪くんが、わたしの物理を出水くんが教える方針を伝えた。「米屋りょうか〜い」と緩く返事をする米屋くん。彼の物理は出水くんのノートを丸映しする力技に出るようだ。米屋くんの様子に脳の限界を垣間見たけれど、あえて言うなら、ここからが本番だろう。


「つっても物理は解答集に答え載ってるだろ」
「あ、それ見てもわからなかった!」
「まじか」


 出水くんの苦笑いによろしくお願いしますと頭を掻く。物理も本当に苦手で、前期の中間も期末も赤点スレスレだった。テストはヤマを張ってしのいだに過ぎないので、前期の学習範囲を網羅する問題集のまとめページを宿題にされては手も足も出なかった。


「一応頑張ったんだけどね、」
「どれどれ」


 物理のノートを広げ格闘の様子をご覧にいれてもらう。どうやら出水くん、物理と数学の課題は全部終わらせていたらしく、あとは古典のプリントを最初の方だけやった状態でこの勉強会に臨んだようだ。反対側から見る彼のノートには計算式と答えがしっかり書き込まれており、自分でした丸つけは軒並み赤い丸が続いていた。
 出水くんがわたしのノートを確認している間手持ち無沙汰になったので、隣の二人を見てみた。三輪くんは教科書を開いて公式が載っているページを指差し、米屋くんは頭を押さえながらシャーペンを動かしたり止めたりしていた。さっそく戦いが始まったようだ。
 三輪くんの教え方がうまいのか「あ、わかったかも」とカリカリ手を動かす米屋くん。それにホッと息をつく三輪くんは、この勉強会が始まってから度々不安そうな眼差しを米屋くんに向けていた。以前から同じ隊の米屋くんが補講になると主にシフトの関係で面倒になると悩ましげに言っていたので、きっとこのメンバーでの勉強会を了承したのはそれが主な理由なんだろう。隊長として、友達としても、米屋くんをほっておけないのだ。だってそうでもないと、一人で宿題を終わらせられる三輪くんがわざわざ人と集まって勉強する意味ないものね。もちろんわかってて誘ったのだけど。
 その三輪くんがおもむろに手を伸ばし、クッキーをつまんだ。……やっぱりすきなんだなあ。開いた口に迷わず持っていく。
 しかしそれが放り込まれることはなかった。手がピタリと止まり、口が閉じられる。どうしたんだろう。米屋くんに何かあったのかな。思って一旦そちらに目を向けるも、彼は口笛を吹きながらスラスラと解いている最中で問題はなさそうだ。ならどうして、ともう一度三輪くんを見る。と、米屋くんのプリントを見ていたはずの三輪くんが、目だけをこちらに向けたではないか。


「……なんだ」
「う?! ううん!」


 しまった、見てたのバレた! とっさに首を振ってごまかすも三輪くんの怪訝な顔は元に戻らなかった。食べづらいから見るなって顔してる。そ、それもそうですよね。肩をすくめて苦笑いする。
 三輪くんクッキーすきなの? って聞いてもよかったけど、せっかくの三輪くんの好物を米屋くんと出水くんにも教えてしまうのはもったいない気がして、できるなら自分だけの秘密にしたいと思った。それに聞いたら三輪くん、食べづらくなっちゃうしね。だからわたしはそれ以外何も言わずに、出水くんに向き直るのだった。


「移行したら符号は変わるぞ」


 三輪くんの指摘に笑っちゃいそうになる。さすがに顔を見なくてもわかる、米屋くんの頭脳を心配する声だ。

 出水くんの教え方は感覚的で、論理的思考を必要とする物理とは相性が悪かった。そもそも、わたしが物理の何たるかをわかっていないから出水くんの説明を理解できないだけかもしれない。まずわたしと物理の相性の悪さをどうにかしないといけない気がする。とりあえず言われた通りの公式に数字を当てはめる作業をしているけれど、この問題がどうしてこの公式なのかはイマイチ理解できなかった。「これあってる?」「おーあってるあってる。そのまま行け」「……了解」大丈夫かな……次の中間で赤点を取ってしまう気がする。一抹の不安を覚えながら、黙々とシャーペンを動かす。


「……なー


 出水くんが頬杖をつきながら言う。


「あとで三輪にも聞いてやれよ」


 唐突な台詞。それはわたしの壊滅的な理解力にお手上げという意味だろうか? パッと顔を上げてみるも向かいに座る出水くんの表情は参ったって風には見えず、むしろ笑みすら浮かべていたので、そういう意味ではないと確信できた。じゃあどういう……。何となしに隣の三輪くんに首をひねる、と、眉をひそめて出水くんを睨む横顔が見えた。


「物理はおまえの担当だろう」
「ならいーけどよ」


 出水くんの意図が読めずわたしも首を傾げてしまう。当の彼はソファの背もたれに寄りかかりながら大きく息を吐き出していた。
 それからずいっとわたしに顔を近づける。随分と楽しそうに笑って。


「師匠がすげー不安そうに見てたぜ」





 清々しいといわんばかりに伸びをする米屋くんと肩を回す出水くん。背を向け遠ざかっていく二人に大きく手を振る。有り余る元気からか、それとも勉強の疲れを癒すためか、これから個人ランク戦に行くんだそうだ。勉強会が無事終了してもう夜の七時を回っていたけれど、急いで帰る時間でもないし明日も夏休みだ。時間はたっぷりある。といいつつわたしと三輪くんはこれから帰宅するのだけど。
 ボーダー本部を出て警戒区域を並んで歩く。まだ外は視界の悪さを訴えるほどではなかった。あと二ヶ月もすればこの時間は真っ暗なのだろう。でも三輪くんとなら全然怖くないだろなあ。夜の帰路を想像して気分が良くなる。


「あ、そうだ」


 ふと、あることを思い出し、隣の彼を見上げる。


「ねえ三輪くん、どうして言わなかったの?」
「何がだ」
「わたしたち、先に答え合わせしちゃってたって」


 そう、実はわたしと三輪くんは先週の火曜、すでに二人で数学の勉強会を開いていたのだ。たまたま三輪隊の作戦室を訪ねたら数学の課題を解いてた三輪くんを見つけ、わからなかった問題を教えてもらった。流れで一緒に持ってきていた古典のプリントの答え合わせもしてしまったので、今日の時点ではすでにわたしと三輪くんの答えはほとんど同じだったのだ。
 一瞬戸惑ったものの出水くんたちに言ってもいいと思ったのだけど、三輪くんが意図的に隠したから黙っていた。でも肝心の意図はわからないままだ。じっと見つめるわたしに対し、当の三輪くんは特に動揺も見せず、「ああ……」と応えながら前を向いた。


「言うと面倒なことになると思ったからな」
「……」
「言わなくてもなったが」


 思い出したのか少し顔をしかめる三輪くん。言わんとしてることはわかる。出水くんの一言から始まったちょっとした騒ぎのことだ。

 あのあと、三輪くんは「見てない。変なことを言うな」と頑なに否定し、わたしの視線に気付くと「おまえも目を輝かせるな」と両目を片手で覆い隠した。それにカーッと赤くなってしまったのは言うまでもなく、固まるわたしとおいどうしたと困惑する三輪くんを見た向かいの二人が面白がって茶化し始めたのだ。「秀次〜」「いちゃいちゃすんなー」今まで勉強続きで疲れていたのだろう、ここぞとばかりにやんややんや囃し立てる二人。それを鎮めたのは、三輪くんの「おまえら終わるまで帰さないからな」という静かな怒りの一声だった。

 思い出して自然と笑みがこぼれる。三輪くんが本当にわたしを心配してくれていたのか最早確かめようのないことだけど、そうだったらいいなと思うのだ。それに彼らの茶化しも、たとえ面白半分だろうと嬉しかった。前に米屋くんが言った通り、彼は(たぶん出水くんも)わたしの恋路を応援してくれてるのだろう。


「なんだそれだけかー」
「何を言わせたかったんだ」
「わたしとの秘密にしたかった、とか!」


 拳を作って言ってみると、三輪くんはワンテンポ遅れて、目を見開いた。
 わたしが三輪くんの好物を秘密にしたいと思うのと同じように、三輪くんがわたしとの時間を二人だけの心に閉じ込めておきたいと思ったのなら、どんなに嬉しいことだろう。想像するだけで幸せになれてしまうよ。残念ながら、三輪くんは何言ってんだこいつって顔をしただけだったけど。
 でも顔を歪めながら、頬はちょっと赤いような? 図星じゃなくとも悪くない反応だった。嬉しくてさらに笑ってしまう。


「三輪くんが秘密にしたいならわたしも内緒にするからね!」
「だから深い意味はないと言っただろ……」


 三輪くんは呆れたようにわたしを見るけれど、感じ取れる心の距離は近かった。それだけで彼の中の自分の立ち位置を前向きに認識できるので、今のところは十分だった。

 ああ、ずっと楽しみにしてるんだよ、三輪くん。早くわたしと同じ気持ちにならないかなあ。



いつか手折るときまで(161002)
title:金星