駿くんのご機嫌とりでやってるんじゃない。何度も何度も、呪いのように吐いた言葉を彼は毎回ひらりと交わす。身軽なステップで白いジャージを翻して笑う。弱いなあ。その言葉で何度泣かされたんだろう。駿くんは知っててまた言う。ねえそれ、やめてよ。






 ブースのベッドで転送された体勢のまま枕を濡らしていたらシャッター越しに声が聞こえた。コンコンとノックする音も聞こえる。また駿くんが来た。個人ランク戦でボロボロに負かされたわたしを慰めに来たのだ。駿くんのスコーピオンで足を切り落とされ、腕を跳ねられ、トリオンの供給機関を刺される。それを十回繰り返して一分も経たないうちにやってきた。そりゃあ隣のブースに入ったんだもの、来ようとすればすぐ来れる。わたしは毎回、来てほしくないと思ってるけど、そんなこと言える立場じゃないのだ。


ー?また泣いてるんだろ、出てこいよ」
「……だいじょうぶ」
「鼻声で何言ってんの。ねえ開けてよ」


 何言ったってどうせ駿くんはそこからいなくなってくれない。だから毎回わたしが折れて、シャッターを開けるのだ。のっそり重い身体を起こして、重い足取りで重い腕を上げてパネルに触る。わたしの気持ちなんかおかまいなしにシャッターが、それはそれは滑らかに壁の隙間に消えていく。部屋は暗くて外は明るいから、四角く切り取られた入り口に立つ駿くんに後光でも差している錯覚を覚える。そんなわけないんだけれど。駿くんなんかに後光は差さない。


「ほら泣いてる」
「……」


 ずずっと鼻をすする。開けたことを一秒で後悔させられる。ちっともすごいなんて思わないから、駿くん、今日はもうわたしのことほっといてよ。


「何が大丈夫なの?全然大丈夫じゃないじゃん」
「駿くんに、」
「俺に負けて悔しいんでしょ、わかってるよ」
「…う、う〜……」


 正解を言い当てられて身も蓋もない。感情が溢れてまた涙が出てきた。腕を目に当て身体を震わせる。ボロボロになるまで負かされた相手にこんなとこを見られている。みじめでたまらない。わたしあと何度こんなことを繰り返すの。


「泣き止んでよ、ほら」


 そう言って、背を丸めて絶望に耐えるわたしの二の腕に手を添える駿くん。そこから伝わるのは毎回労わりの気持ちだったけれど、毎回ますます混乱を来すので逆効果だというのを知らないんだろう。じゃあなんでいつもわたしのこといじめるみたいに殺すの。勝負を挑むと必ずいいよと二つ返事で了承され、けれど圧倒的な差に手も足も出ず殺される。そんなわたしをみじめだと思ってるくせに。


「ほんと弱いなあ」


 駿くんは知らない。君の言葉にはわたしの呪詛の何倍もの力があって、いとも容易く心を折ることを。わたしが頑張って腕を磨いても手をひねるように倒す。君を一回でいいから倒したいのに遠い。勝ちたくて挑んでるのに、わたしの供給機関を突き刺すたび君は嬉しそうに笑う。駿くんのご機嫌とりでやってるんじゃない。ポイントだって君にあげるために稼いでるんじゃない。一ミリも君のためじゃない。


、いくら泣いたって俺、おまえに手加減なんかしないよ」
「…駿くんの、ために泣いてるんじゃない、」
「知ってるけどさあ。じゃあ、次いつ相手してくれる?」
「駿くんの相手してあげてるんじゃないもん…」
「でも、一生俺に勝てないと思うよ」


 思わず顔をあげる。目の周りが空気に触れてヒリヒリと痛い。鼻水も垂れてくる。いいやそれより、駿くん、何て言った?わたしが駿くんに一生勝てないって、そんなこと、そんなひどいこと思いながらいつもわたしの勝負受けてたの。


「しゅ…」
、一回でも俺に勝ったら満足しちゃうじゃん。そんなのダメだから。俺絶対負けないよ」


 二の腕に添えていた両手に力が込められる。心なしか駿くんの顔つきも険しくなっていた。目つきも鋭くてちょっと怖い。逃げるように顔を背けて鼻をすする。駿くんの言葉が理解できない。
 駿くんに一回でも勝てたら、満足、する。ずっとわたしの前に立ちはだかる駿くんにスコーピオンを突き立てられたら、わたしは君に勝ったと思える。駿くんがボーダーに入ってきたときからずっとずっと目標にしてる。
 でも、だからって駿くんがダメって思う理由はわからない。


「…でも泣かれるのは嫌だから!早く泣き止んでよね!」


 駿くんの白いジャージでごしごしと拭われる。さっきまでその腕がわたしを苦しめたのに。「しゅ、しゅんくん、」目痛いよ。言う前に離れる。瞬きして彼を見上げる。わたしよりほんの少しだけ背の高い駿くんがわたしを見つめていた。口を尖らせて、ふてくされてるみたいな顔をしていた。はあ、と息を吐く。


に勝つのなんてすごく簡単でつまんないはずなのに、楽しくてやめらんない」


 駿くんの手がわたしの頬を挟む。何度もわたしの心臓を刺した手だ。トリオン体の急所は他にもあるのに駿くんは執拗にわたしの心臓を狙うのだ。だからわたしも、駿くんを倒すなら心臓だと思っていた。視線を落とすと、さっきまで手の届かなかったそれがすぐ近くにあることに気が付いた。



踏みにじるには遅すぎた(180902)
title:金星