大事にしてきたと思っていたことが案外呆気なかったりする。二十年以上生きてきて、わたしなりに一生ものだって、絶対なくならないって思っていた気持ちと本日さよならをする。決心は時間の後押しで自然とできるものらしい、ですよ、忍田さん。諦めというのかもしれないけれど。


「聞いてくださいよ忍田さん、わたし彼氏できたんですよ」


 努めて口角を上げて伝える。休憩室にやってきたその人を捕まえて唐突な切り出しをする。脈絡はない。けれど長年本部長と中央オペレーターという間柄で親しくしてくれた忍田さんは優しい反応を見せてくれた。「そうか、おめでとう」大げさなリアクションもなく、いつも通りまっすぐ目を合わせて祝福してくれる。それが心からの祝福みたいで、まるでわたし、結婚するみたいだなあ、と思いながら笑みを深めた。
 忍田さんにとっては娘を嫁に送る気分だろうか?いいや年齢的には妹の方がまだ適切かな。硬派の彼とは浮いた話をほとんどしたことがないからスタンスはよくわからない。ボーダーの一員として結構長く働いて忍田さんのこともよく見てきたはずなのに、彼の根幹に触れることはついぞ叶わなかった。なんとなく躊躇われて、いつも違う話題を選んでいたのがいけなかったんだろう。だってあまりにも手が届かなくて。


「ボーダーの外の人なんですよー」
「大学の人か?」
「そうですそうです」


 二度頷いて俯く。忍田さんの知らない人ですよ、なんて。ほんとうは存在すらしてないのだけど。
 だって忍田さん以上の男の人、わたし知らないもの。忍田さんのバイクの後ろに乗せてもらう妄想を何度したことだろう。ささやかな夢だった。夜遅くに帰るとき、「送ろうか」って声をかけてもらえたら、もうそれだけで夜道も安心だろうと思っていた。でももう、やってらんないので。

 忍田さんへ言えない好意を抱くようになったのはいつからだろう。気付けば三度目の冬を迎えていた。二度目の大規模侵攻を乗り越え変わっていくボーダー組織とは対照的に一向に進歩しない自分にいい加減嫌気がさした。一方的に恋敵にしてる沢村さんと勝手にチキンレースをしてるみたいに思えて罪悪感すら湧いてくる(沢村さんが忍田さんのことをどう思ってるのか、聞いたことはないのだけど)。こんなものはさっさと終わらせるべきだった。


「忍田さんは浮いた話ないんですか?」
「ないよ」
「えー?」
「考える時間もないからな」


 パイプイスに座り、ふっと肩の力を抜いた笑みを見せる忍田さんにあははと笑う。初めてこんなことを聞いたけど案外あっさり返ってきた。返答は予想通りだった。そんなこと言っておいて、この人が気付いていない好意がいくつあると思ってるんだろうね。まったく、浮こうという気が一切見えなくて嫌になっちゃうよ。ちゃんといい人を見つけてほしいよ。


 忍田さんのことが本当にすきだった。一生ものだと思った。この気持ちは絶対なくならないと思っていた。年の差があるし、忍田さんはこういう人だから叶わないってわかっていたけれど、わたしはこの先忍田さん以外に心を傾けることはないのだと思っていた。憧れだったのかもしれない。憧れでも何でも、尊いもので間違いなかった。でも、伝えるには彼の隙がなさすぎた。チャンスは一度もなかった気がする。忍田さんもわたしに仕事仲間以上の感情を持っていなかった。強行突破するにはこの関係が惜しかった。そんな、あまりに見込みがなくて化石みたいになった恋心は、歴史的価値のないこんな石ころは、さっさと地面に叩きつけて割ってしまえばよかった。


「忍田さーん」
「ん?」
「いつか彼氏とあいさつしに来ますね」


 やっぱり努めて笑顔で言う。いつか忍田さんのことを、尊敬する上司としてだけ見れる日が来る。その頃にはほんとに彼氏ができてるといいなあ。楽しみだなと口角を上げる忍田さんは本当に素敵な人だった。それは間違いなかった。


「わたし結婚してもボーダーに尽くしますよ!」
「そうか」


 笑った表情はボーダーの人間として喜んでくれているみたいだった。ああ、結局忍田さんは何にも気付かなかったな。困らせたくなかったから、いいんだけど。


「でも自分の幸せを第一に考えるんだぞ」


 それはここにいればずっと叶う、と思ってしまった。駄目だよ、と内心自責する。わたしの夢は叶わずじまいだけど、でもいいや。忍田さんのことすきでした。おわり。



切ないポートレイト破って(190127)
title:金星