てきなかれしのすみはるくん


頬に触れる 素直



──観覧車とメリーゴーランドが目に痛いくらい眩しくて、チカチカと視界を埋め尽くしたのを憶えている。

夜だった。遊園地内中央にある時計塔は午後八時を指している。私はそこで人を待っていた。昨晩はいつもより念入りにスキンケアをしたし、ネイルも頑張ったし、新しい洋服もおろした。歩きやすいようにと選んだ靴を見下ろしながら、まだかなまだかな、と待つ時間が好きだった。私の彼氏は待ち合わせに滅多に遅刻しない。今日は多分、ボーダーのお仕事が忙しいのだと思う。爪先を見ていれば「ごめん、お待たせ」と声がする。優しくて、大好きな声。顔を上げれば、眉を下げた澄晴くんが立っていた。それから私の足先に目を向けると、自分の足先をちょっとだけこっちに寄せて「おそろい」と口角を上げる。それに釣られるように私もちょっと笑えば、澄晴くんは私の手を取って歩き出す。

「どこから回る?」
「ジェットコースターは?」
、絶叫系平気だっけ」
「いける! 澄晴くんが苦手なら他のにしよう」
「おれも平気。行こ」

手を引かれるがままにジェットコースターの乗り場へ向かう。私たちがそこへ着いたとき、ちょうど誰も乗せていないガタゴト動くジェットコースターが目の前に止まった。先に乗った澄晴くんが「足元気をつけて」と私に手を差し出す。それに頷きながら、澄晴くんの隣に乗り込んだ。澄晴くんが安全バーを倒せばアナウンスが聞こえてくる。

『ようこそ、ぐるぐるマウンテンへ! 当アトラクションはハイスピードで山の中を駆け巡るジェットコースターです。帽子や眼鏡など飛ばされないようご注意ください。安全バーを下げ、荷物は足元に置いてください。それでは、素晴らしき山の世界へ、いってらっしゃい!』

ジェットコースターが動き出す。それは瞬く間に加速して、目まぐるしく景色を変えた。五分にも満たないであろうそれは徐々に速度を落とし、ゆっくりと元の場所へ戻っていく。たった五分なのに、私の心臓はバクバクとうるさい。

「結構速かったね、心臓バクバクいってる」

笑いながらそう言った澄晴くんが安全バーを上げると、私に降りるように促した。

「澄晴くんでもドキドキするの?」
「おれのこと何だと思ってるの?」
「あんまり動じなさそうだから」

そう言ったら、澄晴くんは「そんなことないよ」と少しだけ寂しそうな声で言った。けれどすぐにいつも通りの調子で「次はどうする?」と首を傾げた。次。次は……、どうしよう。園内をぐるりと見渡せばライトアップされた観覧車が目に入る。けれど、そんな私に気付いた澄晴くんに「あれは最後がいいんじゃない?」と提案された。私もそのほうが良いと思ったから、じゃあそうしようと頷いて今度は園内図を広げる。ここに来たとき入り口にあったのを貰っておいて良かった。

「これは? この、スカイパラシュート」
「空飛んでるみたいなやつ? いいね。行こ」

私たちはおそろいの靴で歩き出す。澄晴くんは飛行機が好きだから、こういうアトラクションも好きなのかテンションが上がっているように見える。スカイパラシュートの乗り場にも誰もいなくて、それまで無人で回っていたのに、私たちが着いたタイミングで乗れと言わんばかりに動きが止まった。二人まで乗れるそれに、やっぱり澄晴くんが先に乗って「気をつけて」と言いながら手を差し出してくれる。私たちが乗り込んだタイミングで、どこかからアナウンスが聞こえてきた。

『ようこそ、スカイパラシュートへ! 当アトラクションは上下に揺れながら回る、パラシュートを模したアトラクションです。帽子や眼鏡など飛ばされないようご注意ください。安全バーをしっかりと下げ、荷物は足元に置いてください。それでは、快適な空の旅へいってらっしゃい!』

先程のジェットコースターほどではないものの、それなりの速さで動き出す。隣の澄晴くんは「すごい、高いね」と笑っている。

「ね、すごい。下見て! すごいキラキラしてる!」
、夜の遊園地好きだよね」

夜の園内はいろんな乗り物がライトアップされて、上から見るとキラキラの粒で視界が埋まる。そんなキラキラに目を奪われていれば、ぐるぐる回っていたスカイパラシュートはやがて止まり、最初の位置に私たちを返した。先に降りた私が澄晴くんの真似をして「気をつけて」と手を差し出せば、澄晴くんは「ありがと」と戯けたように笑う。澄晴くんはいつもたくさん笑ってくれる。

「そろそろ時間だし、最後に観覧車乗る?」

次はどうしようか、そう訊く前に言われて頷いた。もうすぐ閉園時間だろうか。園内の時計を見たかったけれど、それは遠くて見えなかった。
手を引かれた先の観覧車も誰も乗っていなかった。私たちが乗り場に着いても観覧車はゆったりとした速度のまま動いている。『足元にお気をつけてお乗りください』。どこかから聞こえるアナウンス。いつもは、観覧車のそばにスタッフさんがいて、それで、その人が同じ台詞を口にして乗るタイミングを教えてくれる。どうして今日は誰もいないのだろう。

? 乗るんでしょ」
「あ、うん」
「はい、気をつけて」

澄晴くんはいつも優しい。私を気遣ってくれて、たくさん笑ってくれて、待ち合わせに遅刻したことなんてほとんどなくて……。今日はたまたま、ボーダーのお仕事が忙しかっただけ。今日。今日は……。

「そういえば、今日雪の予報じゃなかったっけ?」
「……雪?」
「うん。雪が、降っ……て……」
「……雪なんて降ってないよ。どうしたの?」

観覧車から見る外は煌びやかで、チカチカと眩しくて、痛いくらいだった。外に目を奪われていれば「」と私を呼ぶ、優しくて大好きな声。隣に座った澄晴くんが、私の頬に触れる。もう一度「」と呼ばれる。観覧車は、もすぐ頂上に着く。澄晴くんがそっと、耳元で囁いた。

「もうすぐ朝がくるよ」

***

その日は雪の予報だった。私と澄晴くんは遊園地でデートの約束をしていて、でも澄晴くんはボーダーのお仕事で遅れると連絡があった。私は園内のベンチに腰掛けて、パンフレットを見ながら待っていたけれど、しばらくして雪が降り出した。最初は弱かったそれも徐々に勢いを増して、アトラクションは次々に止まっていった。

『お客様へお知らせ致します。本日、降雪のため当パークは臨時休業となります。お客様の安全確保のため、園内のお客様はお近くのスタッフの指示に従い、ご退園ください。繰り返します。本日は降雪のため──』

アトラクションに並んでいた人たちも、アトラクションを終えた人たちも、次々に出口へと歩き出す。天気予報では降り出すのは深夜だと言っていたのに。私は澄晴くんとお揃いの靴を見て、立ち上がる。近くのスタッフさんが先程のアナウンスと同じような台詞を叫びながらお客さんたちを出口へと誘導していた。澄晴くんにメッセージだけ送って、とりあえず家に向かおうと、私も遊園地を出た。

そこから先の記憶は曖昧だった。視界を埋め尽くす白と、たくさんの人の声、たくさんの人の爪先。澄晴くんとお揃いの靴は、なぜか片方だけ視界の端に映っている。遠くで聞こえるサイレンの音。私は、今日、澄晴くんと遊園地でデートをするはずだったのに。

***

朝だった。窓の外では朝日が輝いて、鳥が空を飛んでいる。不意に聞こえたノックの音に反射的に「はい」と返してから、後悔した。「おはよ」と顔を出したのは澄晴くんで、これから学校なのか制服を着ている。

「おはよう」
「調子どう? 平気? どこか痛む?」
「平気だよ。澄晴くん、毎日来なくても大丈夫なのに」
「素直じゃないのはこの口かな〜」

澄晴くんが私のほっぺたを引っ張る。「いひゃいよ」と声を上げれば、澄晴くんの手はパッと離れて、それから澄晴くんは少しだけ寂しそうな声で「冗談だよ。おれが来たいから来てんの」と眉を下げて笑った。

「……ごめん、本当に」

澄晴くんは毎日こうやって謝る。あのときの事故は澄晴くんのせいじゃないのに。そう伝えても、澄晴くんは「あの日おれが遅れなかったらに怪我なんかさせなかった」と言う。ボーダーのお仕事が大変なことは知っているし、我儘を言って困らせたいわけでもない。だから気にしなくて良いのに、澄晴くんは優しいから……。
私の記憶は朧げだけれど、後から聞いた話だとあの日猛スピードで走っていた自転車と接触して、私は運悪く近くの縁石に強く頭を打ち付けてしまったらしい。そのせいなのか、私の記憶は所々穴が空いたみたいに抜け落ちている。

「澄晴くんのせいじゃないよ。それに、もうすぐ退院出来るみたいだから」

そう言えば、澄晴くんは一瞬固まって、でもその後すぐに「そっか。良かった」と微笑んだ。それから私の手をそっと握る。

「早く良くなってね、

大好きで、優しい、私の素敵な彼氏の澄晴くん。澄晴くんが泣いているところは、もう見たくないな。

***

「305号室に入院してるさん、全然目覚まさないですね」
「あと一週間程経ってもこのままなら、ご家族の方呼んで覚悟を決めて貰うかもって話だけど……」
「まだ高校生なのに……。そういえば、毎日お見舞いに来てる子いますよね。いつも手を握って話しかけてる子」
「ああ、さんの彼氏らしいよ。すごく仲良しだったみたい」
「そうなんですか。さん、早く良くなるといいんですけど……」