たりが永遠を分かつまで


いたずらをする 息苦しい


※年齢操作



「愛する者には尽くしなさい」はシラユリ館で過ごす子供たちが何よりも優先して教えられる。
の両親はが産まれてすぐ不慮の事故で他界、一度は母方の叔母の家に引き取られることになったものの、が六歳になった頃、叔母もその家族もと距離を置くようになった。
が小学校に上がる前、叔母は「シラユリ館」に行くのはどうかとに勧めた。そこはと同じような孤児を引き取って面倒を見ている施設で、と歳の近い子もたくさんいるし教育システムも整っていて高度な教育も受けられる。叔母が「ちゃんのためになると思うわ」と入館者向けのパンフレットをに差し出したとき、はその中身を見ることはなく「わかりました」と頷いた。
シラユリ館の大人たちは皆優しく、子供たちのことを第一に考える「よく出来た」大人だった。施設で暮らす子供たちも優しく、年齢の垣根を越え仲が良かったし、がここへ入った当時わからないことがあると丁寧に教えてくれる子ばかりだった。
十六歳は特別な日だと教えられたのは、が誕生日を迎える一週間ほど前。そのときにはは「十六歳を迎えた子供は施設を出ていく」というのを知っていた。と同室だった、より二個年上の女の子が教えてくれたから。

さん、大きくなりましたね」

館長室へ呼ばれ、出向いたを見て彼は穏やかな声でそう言った。周りの「先生」と呼ばれる大人たちもその言葉に嬉しそうに頷く。

「少し早いですが、これは十六歳のお祝いです」

赤いリボンが飾られた白い箱を、は礼を言いながら受け取った。開けてみてください、と言われリボンをほどけば中には真っ黒なワンピース。ここで暮らす子供たちは皆肌が雪のように白く、それに似合いのものを、と十六歳の誕生日に黒い服を贈られるのが伝統だ。
ワンピースを広げて見るに、館長は「赤司様を覚えていますね?」と問いかける。は頷いた。関係者以外立ち入り禁止の札が掲げられた門が開くのは月に一度「面会日」と呼ばれるその日だけ。「赤司様」はが十歳の頃の面会日から来ている、より七歳年上の男の人。

「来週のさんの誕生日、赤司様が迎えに来ます。そのときはそれを着て、赤司様を出迎えてください。ここでは十六歳を迎えたら大人になり、シラユリ館で過ごすことは出来ません。ここを出た後の面倒は全て赤司様が見てくださいます」

「赤司様」は優しく穏やかで、子供たちにも人気だった。面会日に来ては子供たちの遊び相手になったし、外の世界のこともたくさん教えてくれた。ここで暮らす子供たちは生きていくのに必要なことは全てこの施設内で教えて貰う。勉学は勿論、料理や洗濯から冠婚葬祭のマナーなど、人間として生きていくのに必要不可欠なことを全て。敷地内から出ることは許されなかったが、外界との接触を断絶しているわけではない。外の世界に憧れを持つ子供は少なくないが皆十六歳になればここを出る。シラユリ館は子供たちの自主性を重んじ、子供たちを尊重する、素晴らしい施設。ここには不幸な子供は存在しない。

翌週、の誕生日と門出を祝うパーティーが開かれた。パーティーの日は授業はせず、先生や子供たちと別れや感謝の言葉を交わす。パーティーを終えると、は施設の子らと先生に見送られながら門を抜けた。門の外では黒塗りの高級車のそばに立つ赤司がいた。「」と綺麗な声で呼んでくれる、優しい赤司をは好きだったし、赤司に引き取られることに抵抗もない。館長から贈られた、黒いワンピース姿のを見た赤司は「もう大人だね」と眦を下げて笑った。

「さあ、さん。おいきなさい。ここへ戻りたくないと思うくらい、どうか幸せになるんですよ」

目尻に皺を寄せて微笑んだ館長の言葉を最後に、はシラユリ館を後にした。


それから二年、はもうすぐ十八歳になる。
赤司との生活は何不自由なく快適だった。二人だけで暮らしている家は赤司の実家に比べれば小さいが狭くはない。勤勉で読書家なのための図書室まである。赤司はを本当の家族のように扱い尊重したが二つだけ約束させた。一つは朝、寝室のカーテンを勝手に開けないこと。もう一つは一人で外出をしないこと。赤司は特に日中は外を出歩きたがらない。文明の発達した現代において買い物は外に出なくても済むし、普段は仕事で忙しい赤司を知っているからも我儘は言わなかった。赤司家は日本有数の名家で、赤司はその子息だというのをはここに来てから知った。

「ただいま」

図書室の扉を開けた赤司に、は「おかえりなさい、征十郎さん」といつもの挨拶を返す。は家事を一通り済ませると大抵図書室に籠っている。の、勤勉で知識欲のあるところを赤司は特に気に入っているから図書室に籠っていても咎めない。

「今日は何を読んでいたんだい?」
「これです。この雑誌」

図書室の本は小説から学術書から雑誌まで幅広く揃えられていた。が掲げた雑誌は財界の人間にスポットを当てたビジネス誌で、数年前赤司もインタビューを受けたことがある。当時の赤司の顔写真が載った記事を開いたは「これ、征十郎さんですか?」と首を傾げた。

「ああ、懐かしいな。起業したばかりの頃に一度インタビューを受けたんだ」
「征十郎さん、今とあまり変わりませんね」
「オレは童顔だから、よく言われるよ」

の手からそっと雑誌を奪った赤司は「夕食にしよう」とそれを棚に戻した。「勤勉も考えものだな……」と呟いた赤司の言葉は、の耳には届かなかった。

翌朝、珍しく赤司より先に目が覚めたは、隣で寝息を立てる赤司をそっと見る。いつもは赤司のほうが早起きだが、連日多忙だったせいかまだ眠っている。は明日には十八歳になり、身体も心も大人へと変わっていく。は赤司が日中に出歩きたがらないことや、出会った頃に比べたら多少の変化はあるものの、あまり外見が変わらないことに疑問を覚えていた。それから、朝、勝手にカーテンを開けてはいけないという約束にも。は寝室のカーテンが開かれているのを見たことがない。その窓の向こうに何があるのか、知らないまま。
はそうっとベッドから抜け出し、冷たい床に足を下ろす。室内は薄暗いが目の良いには問題ではない。窓際に近づいたは、未だ開かれないカーテンに手を掛けた。

「いつからそんないたずらをする子になったの」

カーテンに掛けたの手に赤司の手が重なる。の心臓はドクドクと早鐘を打ち、額に汗を滲ませた。約束、したのに。の頭の中は赤司を裏切ろうとした事実と罪悪感でいっぱいになる。の手を引き、ベッドへ連れ戻した赤司はそこに腰掛けると隣にを座らせた。の両手を赤司の手が包む。

「約束を覚えているね?」
「……はい」
「言ってごらん」
「……寝室のカーテンは勝手に開けない、一人で外に出ない」

目尻に涙を溜めてそう言ったに、赤司は「覚えているならどうしてカーテンを開けようとしたの」と優しい声で問う。は戸惑いながら口を開いた。

「……どうして、カーテンを開けてはいけないんですか? どうして、征十郎さんは昔からあまり見た目が変わらないんですか?」

赤司の手にほんの一瞬力が籠る。赤司は「……明日にはわかるよ」とだけ言うと、の手を離した。赤司は今日明日と仕事は休みで、明日はの十八歳を祝う二人だけのささやかなバースデーパーティーの日だ。赤司はそのときに全てを教えるからと、と指切りをした。

その晩、は息苦しさに目を覚ました。喉の奥が焼けるように熱く、ひどく乾いた感じがする。心臓が締め付けられ激痛がを襲う。涙が溢れて止まらない。声が出ない。

?」
「あっ……ぅ、ぐっ……」
っ!?」

赤司は「まだ時間じゃないだろ……!」と焦ったように呟くとサイドテーブルに置かれたペーパーナイフで自身の腕に傷をつけた。ボタボタとシーツを汚す赤。

「飲んで」
「ぅ、あ……」

甘い香りがの鼻を掠め、気が付けばは赤司の腕に唇を寄せていた。喉を通る血は甘く、は夢中で赤司の血を貪った。徐々に落ち着いてきたを見た赤司は、もうおしまいだと言って腕を離す。血で汚れたの口元を拭ってやりながら、動揺を隠しきれていないにやさしく、やさしく、言った。

「誕生日おめでとう。全部教えてあげよう」


公には知らされていないが、ごく稀に人間ではない種族が人間から生まれることがある。吸血鬼はその一種で、は吸血鬼だ。それがわかるのは六歳のとき、乳歯から永久歯に生え変わる頃。吸血鬼として生まれた子は二本だけ「牙」と呼ばれる歯が生える。吸血鬼の数は少なく、人間からの理解を得られにくいため人間社会で生きていくのは困難だ。「シラユリ館」は吸血鬼を引き取り、人間社会に馴染めるように教育する施設。──表向きは。

「「面会日」を覚えているかい?」

月に一度、外からの客が来る日。は頷いた。

「面会日にあの施設に入れる人間は限られるんだ。孤児を養える経済力や育ての親としての適性がなければ施設に入ることすら許されない。君たちは十六歳になると迎えが来てあそこを出るだろう。それから十八歳、君たちが吸血鬼として完全になるまでの二年間を、オレたちは「準備期間」と呼んでいる」
「準備……? なんの……」
「信頼関係を築いたり、愛を育んだりするための」

シラユリ館での一番の教えが「愛する者には尽くしなさい」だというのを、は思い出す。同時に、館長の「ここへ戻りたくないと思うくらい」という言葉も。

「一般的には生まれた時間を過ぎれば、君たちは心臓の形が変わり、完全に吸血鬼になる。はすこし早かったけれど恐らく個体差があるんだろう。吸血鬼は日に弱い。完全体ですら長時間日の光を浴びると最悪死んでしまう。約束をさせたのは、を死なせないためだよ」
「征十郎さんの、見た目があまり変わらないのは……」
「それはの思い込み。オレは人間だから。全く変わっていないわけではないだろう? 身長も伸びているし、顔立ちも、会った頃よりは大人になってる」

言われて、は赤司と初めて会ったときを思い出そうとしたが、あまりよく覚えていない。記憶は朧気だった。

「人間と吸血鬼なら君たちのほうが強い。だから人間たちは君たちを隔離し、教育し、人間に従順になるように育てることにしたんだ」

人間と吸血鬼なら後者のほうが強く、吸血鬼たちが集い争いを望めば人間に勝ち目はない。それを避けるべく隔離し、人間と対立させないように育てるのが、本当のシラユリ館の役目であり、真実。

「君たちにはひとつだけ弱点がある」

何だかわかる? と問われ、は首を横に振った。彼女たちは完全体になるまで、自身が吸血鬼であると知らずに生きている。誰も教えてはくれない。は自分自身のことを何も知らずに、生きていた。

「吸血鬼は愛した者がいると、その人の血でしか生きられない」

「愛する者には尽くしなさい」、それはシラユリ館で何よりも優先して教えられる、呪いと祝いの言葉であり、ある種の洗脳。

「オレの血は甘かった?」
「はい」
「それががオレを愛してくれている証拠だよ」
「……征十郎さんは、……」
「うん」
「私を愛しているんですか……?」
「勿論。だからを引き取ったんだ」

眦を下げて、慈しむように微笑んだ赤司は、の髪を撫でると優しく囁いた。

の永遠を、オレに分けてくれる?」