れの数だけ愛を知る


虚ろな



※記憶封印措置の範囲を捏造
※年齢操作


 玄関の扉を閉め振り向かずにそのまま後ろ手で施錠してから、上がり框と言うには低すぎるそれに踵をストッパー代わりにしてスニーカーを脱ぐ。腰を折って靴を揃える動作を端折るために視線は自然と足元まで降下する。
 玄関の電気は点けない。骨の髄まで染み込んだ節約意識と後ろから漏れてくる僅かな光で視界が十分だった理由から、電源に手を伸ばしたことがあるのは家主のよりも先にこの家に足を踏み入れた時ぐらいだった。
 二度手間を回避したことを目視で確認してから長くも無い一本道の廊下を進むと、緊張感漂う音楽をBGMに声変わりがしていない少年の声が奮闘しているような声とロールプレイニング特有の攻撃モーションによる様々な効果音が雨のように絶え間なく響いてきた。
 リビング一面を見渡せる所まで足を運ぶと、ソファでゲームをしているの後ろ姿を捉えた。
 義務教育中からボーダーに所属していた彼女の蓄えであれば、もっと広い部屋を借りられただろうに、「掃除が大変だから」という理由で上京した大学生や新社会人が借りるような1DKのこの賃貸に暮らし始めて来月で四度目の春を迎える予定だ。
 部屋の広さは多分玉狛支部よりも少し狭いのに、圧迫感や狭いと感じないのは壁に沿うようにして配置されている家具の高さが揃っているからだろうか。そういえば間取りについて詳しく聞いたことは無かったなとふと気が付く。

 「いらっしゃい」「お邪魔します」自分以外の人間で扉の開閉ができるのは俺だけだと知っているは警戒することもこちらを振り返ることもなく無防備に迎えのあいさつを零す。それに対して最低限の礼儀として言葉を返した。こちらを振り返らない理由は知っているから不安や苛立ちで感情が波立つことは無い。
 音源を辿るとそこには見覚えのあるキャラクターたちが彼女の手によってちょこまかと動き回っていた。トリオン体を以てしても体現できないような動き。これはが小学生の頃から気に入っているRPGゲームで、シリーズは今も完結していないらしい。

「これね、このあと主人公の親友が闇落ちするの」

 敷居を跨いだ断りを入れたっきり黙ったまま動く画面を見ていると、徐にが二酸化炭素を吐くついでのようにネタバレを吐いた。どこまでストーリーが進んだのか逡巡していると思ったのか、突っ立ったまま何も発さない俺を動かすためなのかどちらかはわからないが、とりあえず「そうなのか」と返しながら彼女の座るソファに腰掛けることにした。ギシリ、とブリキの人形の様な音を立てて己の体重でソファが沈む。

 先ほどのの言葉に対して「知ってる」と言ったらはどんな反応を見せてくれるのだろうと思案してすぐに打ち消した。それは今すべきことではない。
 大学四年生になっても相変わらず学校とボーダーとバイトを掛け持ちしている。さらに成人して自由の幅が利くようになってからはより多忙となった俺が一人暮らしをしているの家に足を運ぶのは、掛け持ちしているバイト先が近かったり、彼女に会いたいと思う時だったり、大学のレポートを一緒にする時だったり、泊まってゆっくり過ごしたいと思う時だったり色々だ。
 それでも頻度が高い訳では無かったため、彼女が今プレイしているゲームを熱心に追っていた訳でも、一緒にプレイを楽しんでいた訳でも無かったからネタバレされたことで俺の感情が荒ぶることは無いのだ。

「これは城か?」
「そう。敵の本拠地」
「ボロボロだな」
「確かに。建て直ししないのかな〜」

 可もなく不可もなく平凡な応酬をする。二人とも40インチのテレビを見つめたまま。家具の色や高さがある程度統一されている中このテレビだけが異常な存在感を示し、言い換えれば他のものとはぐれて見えた。
 主人公は剣や槍とは言い難い特徴的な武器で敵に攻撃する。武器の先端はよく見たら王冠の形をしており、鍵を模しているようにも見える。主人公の味方たちは盾を使って攻撃したり魔導士と、武器や役職が一目瞭然なのに主人公だけパッとしないのもこのゲームの特徴とも言える。

「このゲームはどういうストーリーなんだ」
「要約出来ないくらいには複雑だなあ……」

 「複雑過ぎてストーリー解説を何回読んでも細かい部分は忘れちゃう」と困ったように笑う。《燃えろ!!》と主人公に魔法攻撃をさせながら俺にどうやって物語を説明するか思案しているようだった。

「とりあえずもう大変。この作品ではラスボス倒して親友と力を合わせて世界の平和を守るんだけど、主人公はヒロインと離れ離れになっちゃうし、次の作品ではその記憶も敵によって消されちゃうの」
「そうなのか」

 「まあ、途中で思い出すことになるんだけどね」話のオチを結ぶの横顔は相変わらず笑っているが、俺の心臓はバクバクと別の生き物のように激しく暴れていた。必ず行わなければいけない応酬だと頭では理解すればするほど心は過剰に反応する。
 出来ることならこの話題に触れずに居たかった。笑った後にその表情が不安と寂寞を含ませることを知っているから。
 一通り敵を倒し、ダンジョンのBGMが流れ始めるのと彼女の長い睫毛が伏せられたのはほぼ同時だった。


「…………私の記憶はどうなっちゃうんだろうね」


 ポーズ画面に切り替えたことでゲームの音が自動的に小さくなる。

 トリオンの成長が止まった関係で防衛隊員として戦い続けることが難しくなった彼女はオペレーターへの転向や前線を退いて後方支援に回ることは選ばず、大学卒業後は一般企業に就職予定となっている。
 故に、彼女の記憶封印措置について今上層部で審議中なのだ。
 勤務・訓練態度はどちらも良好で真面目。その人柄と面倒見の良さからポジション関係なく彼女を慕う隊員も多く、当然対人トラブルや隊務規定違反もしたことがない。彼女を知る相手は全員そう答えるだろう。ボーダーを離れても害を及ぼすことは絶対に無いと断言できるほどだ。
 今までそういった隊員たちが記憶を消去されずに済んだ例も複数存在する。彼女も必ずその対象となるはずなのだが、ここで俺がになんて言葉を掛けるかに掛かっているらしい。
 気が付くのにどれだけ時間を要したかわからない。そして何度この言葉を聞いたか、言わせたかわからない。
 俺はに対して何と言葉を掛けていいかわからず、その度に見事選択肢を誤ってきた。途中から選択肢など構わずに様々な言葉を投げかけては、答えを書き込んでも回答欄に綺麗に収まってくれない羅列に居心地の悪さを感じてすぐに消しゴムで消す作業を何度行ったことか。おかげで少し、心は解答用紙の様に擦り切れて皺ができていると思う。けれど、そんなものは最早些末な問題に過ぎなかった。
 記憶処理されたを回顧する。俺の好きな笑顔を向けてくれているのに、その目は“俺”が好きだと語ってはくれない。その目は笑っていない訳ではないのにが好きになってくれた“俺”が存在しない虚ろなものだった。近界民やトリオン兵から向けられる殺気や研ぎ澄まされた鋭利な刃物を頸動脈に突きつけられるよりも恐ろしく、色も温度も無いそれは完全に俺を殺す威力があった。もう、何度見ただろう。ただ1つ分かったことは、俺を殺せるのはだけだということだった。

 どれだけ時間が経過したかわからない感覚は相変わらずだが、ポーズ画面の左下に表示されているプレイ時間。右から二桁の数字が52から59に変わっていたことは知っている。その空白を長いと感じるべきなのか短いと感じるべきなのかわからなかった。久しぶりに数字が正しく刻まれるのを見たかもしれない。もうこれで最後にしたい。いや、最後にする。
 背もたれに預けていた背中を浮かせて隣の温もりに誘われるように上半身を内側に向ける。俺の身じろぎに気が付いたもコントローラーを持ったまま俺と向かい合うように身体を動かした。その動きに合わせて彼女の左の太腿がソファにずり上がる。その目はまだ、俺が好きだと言う色と温度に染まっていて中身は空っぽなんかではない。

「もし、記憶が処理されたとしても」
「……うん」
「俺がのことを好きだと言うことは変わらない」
「でも、私は京介のこと忘れてるかもしれない」
「お前が俺にしてくれたように、今度は俺が頑張るよ」

 視界の隅で点滅していた59が00へ鮮明に切り替わるのを捉えた。永らく感じていなかった“当たり前”を漸く取り戻した感覚を得たような気がした。カチリとパズルのピースがはまったような、歯車がかみ合ったような、どうであれ止まっていた時間が動き始めてくれたのだ。
 淀んでいたの瞳が透過し始めて、それからへにゃりと顔を緩ませ俺の好きな笑みを浮かべた。

「何それ。かっこよすぎるよ」

 僅かに膜を張った瞳を隠すように、ぽすんと俺の胸に頭を預けて来た。ありがとう。と音にする頃にはもう鼻声になっていることに気が付かない振りをして、彼女の存在を確かめるように腕の中に閉じ込めた。



◇◇



 結果的に、は記憶処理されずに済んだ。
「心配して損したぁ〜〜京介にもいっぱい迷惑かけてごめんね」と申し訳なさそうに謝るに気にするなと一言声を掛けて形の良い頭を撫でた。
 そう、お前は何も気にしなくていい。謝るのは俺の方なのだから。



(title by 確かに恋だった