遠の継ぎ目をなぞる


とびら 噛む 格好いい


 ケイト・ダイヤモンドは、エレメンタリースクールで入学から卒業までずっと同じクラスだった私の腐れ縁だ。だから、確かめてもいないのに、卒業後もてっきり同じ進路なんだとばかり思い込んでいた。

「え、ナイトレイブンカレッジ?」

 ところで私は犬を飼っている。雑種なので犬種はどれとは言えないが、大きめのシバのような見た目だ。名前はマメ。マメを散歩しているところでケイトに出くわして、ケイトが荷造りの話なんかするから、卒業後の話が明らかとなった。卒業式は一週間後だ。

「ナイトレイブンカレッジ?」
「だから、そうだって言ってるでしょ」

 マメがケイトに向かって吠えたくるので、マメの声にかき消されないように、私たちは大きめの声で話を交わす。マメはケイトが嫌いだ、何故かはわからないけどケイトを見るたびに吠えてとびかかろうとするので、私は今リードを懸命に引っ張っているし、ケイトは嫌そうに距離を取ってる。ケイトは何度かこの状態のマメに噛まれたことがあるので、当然の対応だ。
 私たちとすれ違った人が少し迷惑そうにこちらを見た。

「そんな話聞いてないんだけど!?」
「言ってないもん」

 吠えかかるマメにケイトが怯えるような目を向ける。彼がすぐにでも『じゃあまたな』と立ち去ろうとしていることが分かった。

「いや、ちょっと、どういうこ……マメ、マメ、静かにして」

 マメは私の飼い犬だが、家族の中でもっとも私の言うことを聞かない。静かにしてと言ったところで、静かにするはずもなかった。が、ほんの一瞬マメが静かになったので、気を抜いた次の瞬間。

「あ、マメ!」
「痛っ」

 少しだけリードを掴む手が緩んだのと、一瞬静かになったマメに気が緩んだケイトの状況が不運にもかけ合わさってしまった。無防備だったケイトの左手にマメが噛みつく。
 ケイトは、瞬間的に手を振りほどいてマメから飛びのいたが、可哀そうに、物凄く怯えた顔をしている。

「ご、ごめん、ケイト。大丈夫?」
「痛い……」


 しかたなしに、我々は連れ立って近くの私の家まで帰って来た。マメはケイトに噛みついて満足したのか、帰る道中では比較的おとなしかった。
 マメを庭先にの彼の定位置に繋いで、そそくさと家の中から救急箱を取って来る。ケイトは勝手知ったるうちの庭のベンチに腰かけて、彼もまた大人しくしていた。噛まれた左手はほんの少し血がにじんでいる。

「マメ、なんで俺のこと嫌いなんだろ……」

 救急箱を持ってベンチに座るケイトのところまで行くと、彼は落ち込んでいた。

「さぁ、マメも本気で噛んでる感じじゃないんだけど」

 隣に腰かけて、救急箱を開けてケイトに差し出すと、ケイトは消毒液と絆創膏を取り出した。ケイトは私が手当してあげるような柄ではないことをよく承知している。ケイト本人で処置したほうが、不器用な私が手を出すよりよっぽど良いことも確実だった。
 マメに噛まれた跡に消毒液を振りかけるケイトの、数メートル向こうでマメは暢気に昼寝を始めている。

「本気じゃなくても俺は痛いし」
「吠えまくるのもうるさいしね」

 庭では、葉っぱの緑の艶が美しい椿の木々が赤い花をつけ、白い小さな花を枝の形に沢山つけた雪柳が風に揺れている。どの来週には卒業式だ。式の後、そう時間もかからずにケイトはNRCに行ってしまう。ケイトがNRCに? 本当に?

「ナイトレイブンカレッジに入学するの?」
「そうだよ」

 消毒を吹きかけた手に絆創膏を器用に貼りながら、ケイトが当たり前のように頷く。傷跡を確かめながら絆創膏を貼る横顔は、描かれたように綺麗だ。瞬きをする睫毛の動きを、隣でじっと見つめていたら、その睫毛に縁取られた緑色の目と目が合った。

「びっくりした、どしたの、そんな顔して」

 ケイトが消毒液と絆創膏の箱を、私が膝のうえに置いた救急箱に仕舞う。そんな顔。自分の頬を指先で揉んでも、どんな顔だか分からない。

「いや、なんていうか、信じられなくて」

 だって、もう何年もの間、ケイトは一緒にいたのだ。進級と共にクラス替えがあっても、ケイトと同じクラスになる自信があった。NRCは全寮制だから、学校以外の場所でも、ケイトに出くわすことはほぼなくなってしまう。噂に聞くNRCの、あの特徴的なとびらをくぐって、ケイトは遠くに行ってしまう。

「俺も。でも考えてみれば、NRCにちゃんがいるわけなかったんだけどね、なんか来年も一緒だと思ってた」
「NRCに私がいるわけないでしょ」
「そうだったそうだった」

 ケイトがけらけら笑う。本当だか冗談だか分からないけど、私もケイトも、来年も当たり前に同じクラスにいるんだと思っていたんだろう。

「俺、来年ちゃんがいなくて、友達できなかったらどうしよ」
「うそ、ケイトなんて絶対すぐ友達できるじゃん」
「なんで?」

 なんでと訊かれても困る。ケイトは格好いいし、性格もいいし、喋ると面白い。そんなケイトに友達ができないわけがない。

「だって、ケイトだし、私は友達だし」
「そーね、そうだといいなぁ」

 ケイトが「よいしょっ」と勢いよくベンチから立ち上がる。くるんと振りかえったケイトは、キラキラの緑色の目を私に向けて笑った。

「遊びにおいでよ、NRCに。来る機会はなくはないんだしさ」
「……ケイトもこっちに帰ってきてよね」
「うーん、まあ、長期休みにはね」

 立ち上がったケイトの気配を察してか、私たちの背後でマメが「ワン」と大きく鳴く。ケイトは少し頬を引き攣らせて、「次帰ってくるときにはマメちゃんが俺のこと忘れてるといいんだけど」とぼやいた。



(title by オーロラ片