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「私も未来が読めるんだよ」 あ、どうも初めまして、という言葉を交わしたその日のうちにに言われた言葉だ。 サイドエフェクト。未来視。別にそれで日常困ることがたくさんあるわけではない。思うところがないわけでもないが、おおむね便利だし、己の性格にもあっていると思う。おれはこいつとうまく付き合えている。 大半の人は、おれのサイドエフェクトについて、羨むか不気味がるかのどちらかだ。大変じゃないか、と労われることもある。 それを「私も」だなんて、上からかぶせて来られるとは思わなかった。 なんてことはない。彼女は「天気予報が得意な人」だった。 「迅くん傘持って行きなよ」 「傘?」 朝スマホで確認した天気予報では、一日晴れマークだった。十六時から本部に呼び出されていたから、面倒だなと思いつつ、基地を出ようとソファから腰を上げたところで、からそう声を投げられた。 「うん、きっと降るよ」 「お前のサイドエフェクト?」 「私の特別な勘」 は流しでがしゃがしゃと米を洗う手を止めて、にこりと笑う。 「私の未来予知、迅くんほんと信じてくんないよね」 「そうか? 実績あんだもんお前」 「信じてるって顔してない」 は不満そうにそう言うと、再びがしゃがしゃ音を立てて米を洗い始めた。が米を洗うとき、他の誰がするよりも大体音がうるさくなる。あんまり丁寧な性質じゃないのだ。 俺は玄関の傘立てから傘を取って本部に向かった。結果、呼び出された会議が終わって本部を出る頃には、細かい霧雨がしとしとと降り出していて、持って行った傘を使うことになったのだった。 「おばあちゃんがね、天気を読むのが上手だったんだ」 空の色を見て、雲の流れを見て、月の姿を見て。明日は晴れるよ。傘を持って行きなさい。そうに声をかけてくれていたらしい。おばあさんはが十歳のときに亡くなってしまったそうだ。 「だから、おばあちゃんの孫も私も得意なの。おばあちゃんが教えてくれたとっておきの特技」 「いや、でもさ、」 のそれは、まるで外も見ずに言うことがあるのだ。おばあさんがやっていたという天気予報と、のやる天気予報は果たして同じものなんだろうか。 「ね、私が外したこと、ないでしょ?」 玄関口で傘をたたむ俺を見て、が楽しそうに笑う。本部から玉狛支部に戻ってきたら、ちょうどと玄関で出くわした。彼女もどこかに外出していたらしい。すっぽり頭にかぶっていたコートのフードを外して、じっとりまとわりつく雨粒を払うように彼女はコートをバタバタさせた。霧雨を、コートのフードという装備だけでくぐり抜けて帰ってきたらしい。 冬場はこの時間でも空が暗い。天気が悪ければなおさらだ。暗い中、雨に濡れたの顔は、肌が透き通っているのではないかと思われるほど青白かった。いやに白い手が濡れたコートのボタンを外していく。 「こそ傘持って行かなかったのか」 「忘れちゃった」 部屋の奥からはカレーのにおいが漂ってきている。今日の玉狛支部の夕飯はカレーらしい。湿った靴を脱ぎ捨てながら、も「カレーだ」と嬉しそうに呟く。 「は、」 カレーのにおいの方へふらふらと歩いて行こうとする背中を呼び止める。彼女背負ったリュックも雨粒で濡れていた。 「たとえば、明日よりもっと遠い未来の天気もわかるのか?」 振り返ったの顔は、不思議そうに目を丸めていた。くるりとした目がぱちぱちと瞬く。 「そんな難しいこと私にできると思うの? 変な迅くん」 「はは、なんだかならできそうだけどさ。じゃあさ、」 ただの思い付きの質問にしては、あとになって思い返してみると、ずいぶんと真に迫った質問だった。 「おれが死ぬ日はどんな天気?」 は漂うカレーのにおいを見ているかのように、視線を中空にさ迷わせていたが、俺の質問に音もなくこちらを振り向いた。世界の音が止まったかのように、一瞬、水を打ったような静寂があった。――だから、そんな難しい予報なんてできないよ。そう言われるような気がして、彼女の唇をじっと観察していたのだが、その唇から転び出たのは端的な答えだった。 「大雨」 「は?」 「だから、大雨だよ。寒くって風も強くて、葬式に来る人が大変なくらいの天気」 何故だと尋ねたくなるほど朗らかに彼女は笑った。 「冬の台風みたいな、そういう日。だからね、冬の寒くて大雨の日や、風がすごく強い日は、きっとみんな思い出すだろうな。迅くんのことを」 「そんな思い出にされてもな」 「そうだよねぇ」 何と答えるべきか。気の利いた答えも出ず、ただ相槌のようなことを言えば、彼女からも正しく相槌が返ってくる。しかし、ふっと口をつぐんだは、ふいに悲しげに顔を曇らせた。それから彼女が顔を上げるのと、おれの左手を彼女が両手で奪うように握ったのは殆ど同時だった。大股で二歩、詰められたとおれの距離が近い。彼女の手は雨のせいかずいぶん冷えていた。 「でも、悲しいから私より先に死んじゃ嫌だからね」 それじゃあがおれより先に逝ってしまうことになる。 先ほどまで考えていた葬式の話が、おれの頭の中でとたんにの葬式の映像に塗り替わる。おれだって悲しい。お前を見送ることのなんと空しいことか。足元から忍び寄るように空虚が身体を渦巻いていく。空っぽで満たされたような気分になって、おれは一度深く息を吐いた。の手は相変わらず冷たい。 ゆるりと頭を振る。 「おれは、長生きだから」 「ふーん、それはサイドエフェクト?」 「さあ、どうだろうな。いや、そうだな、そうだ」 おれはに嘘をつくのは好きじゃない。
(title by オーロラ片)
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