一位から三位までの表彰式が終わり、体育祭は無事幕を閉じた。簡単なホームルームをし解散となった教室では未だ熱が治まりきってないのか全体的に浮き足立っているようで、わたしも少なからずどきどきしながら立ち上がってスクールバッグを肩にかけた。授業がなかったので帰りの支度はほとんどすることがなく、先生が教室を出て行ってすぐにわたしも続けそうなほどだった。





呼ばれてパッと隣へ顔を向ける。心操くんがこちらを見上げていた。瞬時に察して、あっと声をあげる。


「またあし……しあさって!」


いけない、また間違えるところだった。明日と明後日は特別にお休みなのだ。土曜授業に慣れてくるとついまた明日って言っちゃうな。誤魔化すようにはにかむと、なぜか気まずそうに目を逸らされてしまった。あれ、何か、駄目だったかな…。


「…うん、お疲れ」


心操くんは結局、何か言いたげなままあいさつをしただけだった。「お、おつかれ…」俯き、スクールバッグの持ち手を握りこむ。…間違ってないよね、教室でばいばいするのちょっと久しぶりだし、いつもはわたしの方が遅いから変な感じするだけかな。考えても原因はわからないままで、このまま帰ってもいいのだろうかと迷う。
もしかしたら今までも心操くんはこんな風に何か言いたげにお別れのあいさつをしていたのかもしれない。今日の体育祭を経てようやく周りに目を向けようと思い始めたから気付いたのかもしれない。だとしたら、わたし心操くんにかなり失礼なことしていたのかも。
ああ、でも、早く行かないと…。


今日早いじゃん」
「あ、うん…」


そうこうしてる内に、離れた席からやってきた女の子に声をかけられた。ひらひらと手を振りわたしと心操くんの間の通路で立ち止まる。


「なんか昨日まで放課後は特訓だったから変な感じだなー」
「うん、そうだね」


それは、わたしも思ってた。二週間という期間は短い日数かもしれないけれど、入学してまだ一ヶ月と少しの高校生活からしたら約半分を占める濃い時間だったのは間違いない。体力がなく運動神経の悪いわたしにとっては辛くもあったけれど、友達と練習できて楽しかったのが一番だ。「また特訓しよーな」笑顔の友達にうんと頷く。頷いてから、自分がこんなにすんなり頷けたことに驚いた。


「そだ。心操から聞いた?」
「え?」
「え。…なに心操、ハブる気だった?」
「?!」


思いもよらない台詞に頬が強張る。途端に居た堪れなくなり、サッと目線を下に向ける。まさか心操くんの顔を見れるわけがない。久しぶりに聞いた言葉だ。自分のことで聞いたのは、幼稚園以来かな…。


「んなわけないだろ…。俺から誘ったら断りにくいかと思って」
「ああ、確かに」


すぐさま否定してくれた心操くんの台詞でホッと安堵する。女の子は女の子で、ケロッと納得してわたしに向いたようだった。おそるおそる目線を上げる。


「明日打ち上げしよーって話。心操の祝勝会も兼ねてさ」
「あ、ああ…!」
「勝ってねえけどな」


ハッと自嘲する心操くんを見遣る。この場の誰も言わないけど、本戦まで勝ち進んだだけでもすごい。必ずしも戦闘で活きる個性じゃないはずなのに、ちゃんと自分の能力を使いこなしていたのだ。そんな心操くんの勝利を祝うのは、こんなことを言うのは偉そうに思われるかもしれないけど、当然のことだと思う。でも本人からしたら本意じゃなくてむず痒いのかもしれない。
とにかく、心操くんにハブられたわけじゃなくてほんとによかった。心操くんはわたしと目が合うと、困ったように眉をひそめた。


「いや、なんでホッとしてんだよ。ハブるわけないだろ」
「ご、ごめん…」
「なー、来るっしょ?」
「うん…!」


即答だ。即答できることが気持ちよかった。四月のクラス会に心操くんから誘われたときの心持ちと全然違う。あの頃よりわたし、クラスに馴染めてる気がする。みんなのおかげだ。
いえーいと女の子が両手のひらを見せる。瞬時に察したわたしも控えめに同じポーズをすると、パチンと二人の手のひらが合わさった。ハイタッチだ。カーッと頬が熱くなる。嬉しい。この喜びを、早く勝己くんに伝えたかった。


「じゃあ、また明日!」


手を小さく振り、二人と別れる。教室を出てすぐさま左手へ方向転換しA組へ向かう。ヒーロー科はまだどちらも終わってないようで、ドアは閉じたままだった。よかった、と胸をなでおろしながら、二週間ぶりに廊下の窓に寄りかかる。制服に着替えてるときからどきどきしたままの胸に手を当て、人知れず深呼吸する。
体育祭は終わった。勝己くんの放課後の特訓も終わるはず。だから、今日は久しぶりに一緒に帰れる。今朝やお昼休憩のときは、まだ終わってもないのに約束するのが躊躇われて切り出せなかった。だからちゃんとここで待ってないと一緒に帰れる気がしなかった。勝己くんはわたしと一緒に帰ることに理由なんてないんだから。
わたし、よっぽど自分勝手だ。勝己くんがどう思ってるかなんてお構いなしにつきまとってる。体育祭で常に輝いていた勝己くんに釣り合わないと重々承知してるのにそばにいたい。何もできない自分が嫌なのにわたしを見てほしいと思う。きっと初めてすきになってからどんどん欲張りになってる。

ガラッとA組のドアが開く。一番に出てきたのは、勝己くんだ。


「かっ…つきくん」
「……」


勝己くんの眼差しは鋭い。表彰式のときから、今回の結果に納得してないのはわかっていた。原因は決勝の不完全燃焼だろう。勝己くんは存分に個性を発揮していたけれど、相手がそうじゃなかったから怒ってるのだ。わたしだったらラッキーだと思ってしまうのに、勝己くんはどこまでも自分自身に真摯だ。
表彰式、拘束器具を付けられてしまった彼を見上げながら、わたしは決意を新たにしていた。その第一歩を踏み出したい。


「一緒に帰ろ!」


体育祭をきっかけに一緒に帰れなくなるなんて絶対に嫌だった。放課後の特訓がなくなったのならまた毎日待ちたい。だから、見捨てないでほしい。
願望を押し付けるみたいにまっすぐ見つめる。すると勝己くんは、あくまで押し負けた様子もなく、不機嫌そうな表情のまま「おお」と答えたのだった。
歓喜と安堵に包まれるわたしの心情に気付かない勝己くんはそのまま昇降口へ歩いていく。わたしも小走りで追いかけ、斜め後ろをついていく。勝己くんは驚きも呆れもなかった。わたしから申し出があることを予想していた、というより、わざわざ言われなくてもそのつもりだったみたいな、……いいや、勝己くんにとってわたしと帰るか帰らないかはさほど問題じゃないのかもしれない。わたしが死活問題みたいに考えてるだけなのかも。でも事実、死活問題なのだ。


「勝己くん、一位おめでとう!本戦もぜんぶすごかった!圧倒的だったよ!」
「全然おめでとうじゃねえわ、あんなん」


すぐさま否定される。わかってた。わかってたけど、おめでとうと言えないのは嫌だった。勝己くんが一位に納得してなかったとしても、じゃあわたしもとは思わないのだ。純粋に勝己くんの一位と、勝己くんを賞賛する世間の評価が嬉しかった。勝己くんがすごいことを世間がどんどん気付いていく。それにつれて、どんどん遠くなるけれど。


「こんなんじゃねえぞ」


勝己くんが振り返る。険しい表情のままわたしを射抜いていた。釘付けにされたみたいに目を逸らせない。


「こんな一番、なんの価値もねえからな」


「ここで一番になっとこ、見てろ」勝己くんの決意を覚えてる。ああわたし本当に、幸福な人間だ。

ずっと応援してる。わたしの応援が、勝己くんのためになったらどんなに嬉しいことかと、思うよ。


「わたし、勝己くんの役に立つものになりたい!」
「あ?」
「勝己くんすごいから、為になれる仕事はたくさんあると思うの!」


拳を作りながら力説する。今日の勝己くんを見て思ったことだった。勝己くんは間違いなくトップヒーローになる。そしたら、勝己くんに関係する物事もたくさん増えて、きっと役に立てる場面がある。わたしいつか、ただ後ろに付いてくだけの弱い子分のままじゃあ、満足できなくなるんだよ。


「…おまえ、将来の夢とかあんのか」


わたしの決意が思いの外驚かせてしまったらしく、勝己くんは目を見開いて呆気にとられていた。自分でも大きく出たと思っているので、聞き返されて恥ずかしくなる。俯き、拳を解いて手いじりで誤魔化す。


「今日思いついたばっかで…まだ具体的になりたいものとかは、わかんないんだけど…」
「……」


スッと目を細める勝己くん。それから顔を逸らすように正面に向き直り、フンと鼻を鳴らした。


「おまえも変わってくんだな」


見上げると、勝己くんはまっすぐ前を向いていた。嬉しそうでもなければ悲しそうでもなく、フラットな表情からは感情が読み取れなかった。良し悪しの判断がわからず困惑する。
変わってく。どんどん欲張りになっていくから、先行していく欲求に立場が追いつくために、必要なものになりたいのだ。今のままじゃ絶対駄目だから変わりたい。


「うん…」


何より、勝己くんのすきな人になりたい。間違っても勝己くんに捨て置かれたくなかった。


「でも、わたしの一番が勝己くんなのは、ずっと変わらない、よ…」


口に出してからどきどきと心臓が高鳴る。きっと勝己くんにとって、わたしの一番なんて大した価値もないだろうけど。自己満足で伝えた言葉に、彼はこちらを向いたと思ったら、あっさり呆れたように笑った。


「んなこと知ってるわ」


思ったより好意的な声に肩の力が抜ける。それから、へにゃりと頬が緩む。そうだよね、今まで勝己くん頼みで生きてきたわたしだもの。勝己くんだってよーく知ってるはずだよ。

変わらない足取りを斜め後ろからついていく。……告白みたいだって思ったのは自分だけだった。もちろん告白したつもりはなかった。まだできない。こんな自分じゃあ到底できない。でも自信がついたら、告白したい。勝己くんに、あなたが何より一番すきだと伝えたい。

夕暮れの帰り道、わたしは確かに、勝己くんと自分の将来を、期待していた。


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