六限があと五分で終わる頃になっても教室が静まることはなく、五限の終わりから続くそこはかとない緊張が依然教室を漂っていた。プロヒーローである講師陣の姿は一向に現れず、机に出した教科書を開いている生徒はごくわずかという無法地帯。ざっと見回した限りでも席についてない奴らが半数で、その中の数人は他クラスに情報収集に出向き教室にいてすらない。早耳の奴らがどこからか持ってきた情報によると校舎内や近くのグラウンドでは何も起きてないことから、離れた場所にある施設のどこかだろうとの推測がなされていた。
こんな事態で悠長に自習する気には当然なれない。例に漏れず机上に置いたままの教科書に目を落とし、それから隣の席に目を移した。無人の席は持ち主がイスもしまわず慌ただしく消えた光景を瞬時に思い起こさせた。 あんなを見たのは初めてだった。振り払われると予想してなかった。頭のどこかでそういうことができない奴だと思ってたらしい。一瞬込められた強い力に呆気にとられた俺は、を追うという考えすら湧かなかった。かろうじて呼んだ名前にも、あいつは振り向きもしなかったのだが。 目立った行動なんて何一つできなさそうなの、このクラスで初めての友人が俺らしい。隣の席で顔を真っ赤にして必死にあいさつされた日のことはまだ記憶に新しかった。あれからお互い口数が少ないながらも話すようになり普段のを知るようになったけれど、確かに友達が多いタイプの人間ではなかった。教室にいても話すのは俺たちくらいで、たまに他の奴に話しかけられてもあのキョドりようだ。交友の輪を広げることはとことん不得手らしかった。 そんながクラスで初めてできた友人が俺らしい。そのことに柄にもなく嬉しいと思ったのが、先週のクラス会での出来事だった。 「あ、あの、心操くん…」 後ろから声がしてハッと振り向くと、そこにはさっきまで姿のなかったが立っていた。やっと戻ってきたらしい。五限の終わりに教室を出てどこに行ってたのか、胸の前で指を絡ませるそいつは眉をハの字に下げ、何も言わない俺を余所に申し訳なさそうに頭を垂れた。 「さっきはごめんなさい…」 「…いや…」 なんとなくバツが悪くて首裏に手をやる。俺が勝手にやったことで、謝られるようなことはされてない。萎縮させないようフォローの言葉をかけようとして、「……」視線を下げた。 「おまえの友達って、男?」 口をついた台詞に一瞬時が止まったように感じた。血の気が引く感覚と同時に羞恥に襲われ心臓がうるさくなる。何言ってんだ俺は。「えっ?あ、うん、」顔を上げたを見上げる。驚いて丸くした目が、次第に輝きを帯びていく。 「友達っていうか、実は幼なじみで…」 「爆豪勝己くんっていってね、あ、知ってるかも、入試一位だったから…」青かった顔色はもはや影もなく、頬を紅潮させて話し始める。ハタから見ても嬉しそうなのがわかり、自分から振った話題のくせに心臓を抓られたような痛みを覚えた。後悔してる。の口から出た男の名前を聞いたとき感じた嫉妬心なんて気のせいだと思いたかった。 「強いだけじゃなくて優しくてね、いつもわたし助けてもらってるんだ」 「……」 「あ、でも勝己くんにとってわたしは子分みたいなものなんだけどね…!」 「…そっか」 わざわざ聞かなくてもわかる。にとってそいつがどういう存在なのか。それも昨日今日でなったわけじゃない。ポッと出は俺の方だ。ああ、身にしみるほどよくわかったよ。なんだ。 じゃあ、いいや。 知り合って数日だ。こんなものどうにでもなる。こいつがすべてじゃない。俺にはやらなきゃならないことがたくさんあるんだ。小さな火は吹き消してしまえ。「いつまで立ってんの」「あっ」話を切るつもりで口を挟むと、我に返ったはそそくさと自分の席に戻った。出しっ放しの教科書を片付ける様子を無意識に見ていたらしく、目が合うと、は照れ臭そうにはにかんだのだった。 ……すきな奴がいるならもっと早く言ってくれよ。そうしたら俺は、 「心操くんありがとう」 一度逸らした視線を戻すとは控えめに肩をすくめていた。何に対しての「ありがとう」なんだか。座るのを促したことか、話を聞いたことか。こいつの謝罪や感謝の言葉はいつも突拍子ない。 だいたいどうやって。そのかつきくんとやらはこんな距離を詰めにくい奴のそばに、どうやって居続けてんだ。 「わたし勝己くんが全部だけど、心操くんと友達になれて、本当によかったよ、ありがとう」 目を見開いた俺が何か言う前に担任が教室に入ってきたのでは今度こそ前に向き直った。いつの間に鐘が鳴ったのか、時計を見るとすでにホームルームの時間になっていた。担任が何か話しているがまったく頭に入ってこない。心臓の動悸が全身に伝わってるんじゃないかってほどうるさい。 を見るとそいつは不安そうな横顔で真剣に担任の話を聞いていた。そこでようやく、話題がA組の騒動だということに気が付いた。「警察の調査などの関係で明日は休校となりましたので、」耳に入ってきた情報と歓喜に湧くクラスメイトの声。それでも俺は、依然担任の説明を聞こうとじっと耳を澄ませるにしか目が行かず、微動だにできなかった。音を立てないようなんとか腕を動かし、手のひらで口を覆う。 「………クソ」 点き始めの火が炎になる予感がした。 |