五、

両手に抱えた手拭いの存在を忘れ勢いよく辞儀をし出したときはさすがにドン引いたが、おそらく顔には出なかっただろう。前を歩くお嬢さんについて行きながら、人知れず目を細めた。


「あの子はちゃんっていうんです」
「へえ、」


当分の予定としては、この環境に慣れるのと立ち位置を安定させるために手伝いを積極的にやっていくつもりだった。善人ぶるのは得意だ。真面目でよくできた優等生という皮を被る。書生としてこの家に世話になるのが決まってから、自分がここで過ごしやすくなるため行う地固めのシュミレーションは何度もしてきた。考えれば思いつくその方法は、今日より前から伏線を張ってきたので何も心配していない。
お嬢さんの後頭部で揺れている赤いリボンを眺める。桃井家の一人娘の桃井さつきは以前にも何度か会っているため、利発な女だという認識は既にある。この家で一番歳が近いのは彼女で、さらに俺より年下だ。こいつになら早いうちに本性をバラしても問題なさそうだと考えている。賢い奴は話がわかるから助かる。……それに比べて。さっきのまぬけ面が思い出された。


「随分若いですよね。お嬢さんと同じくらいですか?」
「はい。同い年なんです」


それからお嬢さんはその女中について話し始めた。あの女の両親は元々桃井家に雇われていた使用人だったらしい。その二人の間に生まれたそいつは両親が働いている間桃井家の世話になっていて、小学校までほとんどずっとお嬢さんと過ごしていた。高等小学校を卒業したら桃井家で働くという条件のもと、就学費用などは桃井家が負担していたらしい。十二歳になり、彼女が使用人として雇われると同時に両親は退職し、今は実家で個人店を営んでいるとかなんとか。
そうなんですか、と笑顔で返して納得する。あの若さも使えなさも、そういう理由があってのことなら理解できる。旦那さまや奥さんの温厚さもあればなおのことだった。

愛想を振り撒き立ち位置の確立を図っている間、の観察をしていた。ああいう奴がいるのはいい意味で想定外だった。直接は関わらないよう遠くから様子をうかがっていればほとんどのことは数日で把握でき、第一印象の通りの人間だというのが確信できた。
その間に近所のガキと顔を合わせたのをきっかけにお嬢さんには本性を見せると、最初はこちらを伺う様子を見せていたが最近では元と同じ態度で接してくるようになっていた。


「あ、真さん、父が呼んでましたよ。書斎に来てほしいそうです」
「はい、わかりました。ありがとうございます。…ところで敬語はやめてくださいよお嬢さん」
「いえ、真さんの方が年上なので」
「…ハッ。その礼儀の良さ、あのクソガキにも分けてやってほしいですね」


顔を合わせる度噛みついてきそうな色黒のあいつを思い出し、それからすぐに忘れる。苦笑いするお嬢さんとあの女中は随分親しいようだ。しかしこの二人が結託したところで何か俺の不利益になるような事態が起こるとは思えない。むしろ家の中で時折見かけるはお嬢さんのことを大層慕っているようだったから、お嬢さんがこの態度でいる限り不都合は起こり得ないと確信できた。


◎◎◎


なに、ただちょっといじめてやるだけだ。長い居候生活なんだから窮屈に我慢してたら身が持たねえだろ。ようやくそれの始まりだ。俺は箱を小脇に抱え壁に寄り掛かりながら、完全に萎縮するそいつにとびっきりの笑顔を見せるのだった。


「これからよろしく。使えない使用人さん?」


ショックを受けた顔は悪くない。この生活も案外悪くなさそうだ。


花ざかりと毒