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「やっと犯人がわかったよ…」


毛利さんの声にハッと首を向ける。イスに座り組んだ手の上に顎を乗せた姿勢の彼を見て、わたしは既視感を抱く。疑われて会場を出ようとする伴場さんを引き止めたあのときだとすぐに思い当たった。

大学生四人の事情聴取が終わって日も暮れてきた頃、一向に進展を見せない警察側にしびれを来した高梨さんたちはキッチンにいる捜査陣の元へ乗り込んでいた。リビングで大人しくしていたわたしだけれどさすがに一人になるのは嫌だと思い彼らを追いかけ、廊下から彼らと毛利さんたちの話を聞いていた。他殺なのはほぼ確定。けれど密室のトリックがまだ解決できていない。石栗くんの部屋を閉めた合い鍵もまだ見つかっていない。捜査状況は、思ったほど芳しくないようだった。
離れたところにいる安室さんをうかがってみると、高梨さんたちの事故だという主張について考えているかと思いきやコナンくんに何か話しかけていたりと(時計のフタが壊れたって聞こえた)あまり真剣に受け止めていないようだった。その様子にどこか余裕すら感じたわたしは人知れず首をかしげたけれど、誰かに気付かれることはなかった。
そのあとコナンくんの無邪気な言葉がきっかけで花瓶が自動的に落下する仕掛けと、鍵を閉めたあとドア越しに石栗さんの遺体を移動させる方法が判明した。安室さんも同意して、その犯行が物理的に可能であることを付け加えた。まさかトリックに氷とドライアイスを使ったなんて、思ってもみなかった。思うほどに犯人の綿密な計画とともに殺意の高さを思い知る。ドア付近で昇華していたであろうドライアイスの冷気について、部屋を訪れたとき気付かなかったのかと問われる三人を見上げる。未だに信じられない。誰かが人を殺したなんて全然思えない。

そう思った矢先の、毛利さんの台詞だった。どきどきと、不安と期待の混ざった心音を感じる。


「まずドライアイスがあったことを裏付けるような証言をした真知さんは容疑者から外していいでしょう」


そして、高梨さんとわたしはコナンくんが部屋にいたのを知ってることを理由に外された。「となると残りは、その二人よりも先に石栗さんの部屋へ行き、氷やドライアイスが溶ける時間を十分に稼げた…」…そっか、そっか。単純な話だ。この事件はほぼ確実に他殺。犯人が作った密室も破れた。そしたら消去法で、犯人が絶対言わないことを言った人、知らないことを知ってる人を消せば、


「桃園琴音さん、あなた以外に犯人は考えられませんなァ!」


残った人が、犯人だ。

普段「眠りの小五郎」と称されるほど静かに推理を述べる毛利さんだけれど、今日ばかりは気分が乗ってるのか琴音さんが取ったであろう犯行についてスラスラ説明し、見事言い当てたと言わんばかりに「この名探偵には通じなかったようですがねえー!」と高笑いした。大学生三人の後ろから様子をうかがっていたわたしは彼から目を離し、おそるおそる茶髪の彼女を見上げた。もちろん表情は見えない。けれど、俯いてるのがわかった。


「じゃあ、合い鍵はどこにあるのよ?」
「え?」
「鍵、掛かってただろ?!石栗の部屋!」


琴音さんを庇うように真知さんと高梨さんが問い詰める。確かに、合い鍵はまだ見つかってないはずだ。毛利さんもそこまで考えてなかったようで、そのうち見つかるかもと曖昧な返事をしていた。
ほとんど無意識に、縋るように安室さんを見る。安室さんなら合い鍵の在り処を知ってるかもしれないと思ったのだろう。けれど彼は見定めるような目つきで毛利さんを見ているだけで、口を開くつもりはなさそうだった。
…なんか、知らない人みたい。縮こまって俯く。こんな緊迫した場面で安室さんにまで突き放されたように感じてしまい途端に心細くなった。「そうそう、氷ってさー…」何度目かのコナンくんの声に引き寄せられるように顔を上げる。視界に入った安室さんはやっぱり、真剣な表情でコナンくんを見下ろしていた。


「水が凍るから、氷っていうのかなあ?」


さっきもコナンくんの言葉がきっかけで推理が進んだこともあり、毛利さんを除いてみんなが改めて考えたと思う。横溝警部は現在犯人と断定されている琴音さんのペットボトルが怪しいと言い、それに園子ちゃんがさっきも言ったようにお風呂上がりに飲ませてもらったけどほとんど凍っていて飲めなかったと否定した。わたしも頼まれて冷凍庫にしまうとき、中のスポーツドリンクは凍っていたと記憶している。仮に液体だったときに鍵を入れて凍らせたとしても、そんなに早く固まるものじゃないだろう。それに蘭ちゃんが言ってた通り、鍵が底まで落ちて下から見えてるはずだ。「だったらさー、鍵を入れた途端に凍っちゃうような、魔法の水があればできるかもね!」無邪気に非現実的なことを言ってのけるコナンくんにちょっと癒される。事件慣れしてるともっぱら噂のコナンくんだけど、やっぱり中身は可愛い小学一年生だ。


「バーカ!そんは漫画みてーな水があるわけが…」
「ありますよ…」


え? 突然、今まで黙っていた安室さんが口を挟んだ。全員の視線が彼に集中する。しかし安室さんの自信ありげな態度は揺るぐことなく、眈々とその「魔法の水」の説明を始めた。


「過冷却水…水が凍るはずの凝固点、0度以下になっても氷にならないで液体のままでいる水のことで、振動などの刺激を与えると急速に凍り始める」


最初に聞いたとき漢字が思い浮かばなかったカレイキャクスイという水について安室さんは作り方まで説明した。それによって、長時間冷やされた水のことだとわかったわたしは頭に過冷却水の文字を浮かべる。さらに安室さんは、琴音さんは過冷却になったスポーツドリンクを使って、ペットボトルの中央に鍵を寄せるように凍らせたあと、園子ちゃんに飲ませたのだろうと推理を述べた。中央に浮かぶ形で凍る鍵は、スポーツドリンクの薄い色がジェル状に凍ったおかげで外から確認することができないのだと。彼の推理を聞いた横溝警部は神妙な顔でうかがう。わたしはただひたすら、黙って聞いていた。


「じゃあ、そのスポーツドリンクを溶かせば…」
「ええ、出てくるでしょうね…琴音さんが石栗さんを殺害したという、痕跡がね…」


安室さんの言う通りならもう言い逃れできない。琴音さん以外ありえなくなる。心臓は気味の悪い脈を打っていた。「そ、そんなの出てきてから言いなさいよ!」「もしも出てこなかったらあんたら…!」真知さんと高梨さんが琴音さんを庇う姿すら痛々しく思えて、わたしは身体を少しも動かせなかった。


「ダメよ…」


琴音さんの震える声に、ぎゅっと目を瞑る。


「出てきちゃうから…。私の指紋がバッチリついてる合い鍵がね…」





行きと同じく助手席に座り帰路につく。安室さんの車は夜の車道でもスムーズな運転で走るので、身体への負担はまったくない。車内はほとんど無音だ。脱力したように背もたれに深く寄りかかって、通り過ぎていく外の景色をぼんやりと眺めていた。

琴音さんの犯行動機は瓜生さんの敵討ち。彼女は瓜生さんのことがすきだったのだ。でもそれって逆恨みじゃないか、石栗くんは冗談を言っただけで、瓜生さんが飛び込んで亡くなったのは真に受けてしまったからなんだから。そう思っていたわたしは、次の琴音さんの話に愕然とした。
新雪の中で亡くなっていた瓜生さんが運ばれていったその夜、石栗くんは事故現場となったベランダ下の雪を一心不乱になって掘り返していた。初めは瓜生さんの死を信じられなくて、彼の姿を探しているのかと思った琴音さんは、石栗くんが雪の中自分のストールを見つけ喜んだのを見て確信したと言う。瓜生さんは自分から飛び込んだのではなく、石栗くんに突き落とされたのだと。そのとき咄嗟に石栗くんのストールを掴んだのだと。

犯行に使うドライアイスを石栗くんに運ばせるため昼食をアイスケーキにさせたくて、人を招いて昼食を食べる人数を増やそうとラケットを投げたという。「高梨くんがあなたに怪我させたから、同じ団体の人にぶつけようと思ったけど…」わたしに振り返った琴音さんは、静かに涙を流していた。失敗したわ、と言った。よく考えたらあなたの怪我だけを口実に招くこともできた、そうしたら少なくともボウヤが石栗くんの部屋で寝ることはなかった。あのときもう、冷静に考えられていなかった。そう零す琴音さんは、殺人犯なんかじゃなくただの大学生にしか見えなかった。


「それにしても、間の悪さがついに容疑者にまでさせたね」


赤信号で止まっている間、安室さんがそう話しかけた。事件の結末をどう受け止めたらいいのかわからないわたしは、解散となった別荘からここまで、一言も話そうとしなかった。もしかして、安室さん気遣ってくれたのかなあ。ちょっと冗談めかした声に胸が暖かくなるのを感じながら、彼に向いた。


「わたしも気が気じゃなかったです…でも安室さんが信じてくれてたので、すぐ安心できましたよー」
「そう、それはよかった」


あまり響いてなさそうに返されたけれど横顔は優しい。やっぱり気を遣ってくれたんだなあ。「……」俯いて、ぽりぽりと頭を掻く。いろんな気持ちがない交ぜになって自分でもよくわからないのだ。


「そういえばもお手柄だったね」
「え?」
「琴音さんのペットボトルのこと、話に挙げただろう。が忘れてたら他の誰も言い出さなかったかもしれないし。そうしたら合い鍵の行方はわからないままだったよ」
「そ、そうですか…えへへ…」


突然褒められて照れてしまう。気遣ってくれてるんだとわかってても、安室さんに褒められるなら何でも嬉しいや。むずむずとかゆくなって、落ち着かなくて居住まいを正す。赤信号は青に変わり、車もゆっくりと動き出す。「それに」正面を向いたまま安室さんは続ける。


が高梨さんのボールにぶつかってなかったら、彼女のラケットは全然別の誰かにぶつかっていて、石栗さんの死は狙い通り事故として処理されてしまっていたかもしれない」
「……」
「だから君が責任を感じることはないんだよ」


安室さんは気付いてる。今わたしが変な罪悪感に襲われてること。それは柔らかく、うっすらと黒みがかかった薄い膜のようで、張り付くようにわたしに覆い被さっていた。
面と向かった琴音さんに何も言えなかった。何か言い返せていれば今こんな風になってなかった気がする。でもあのときわたしの頭には「違う」という子供でも言える言葉しか頭に浮かんでこなくて、結局中途半端に開いた口は、横溝警部が琴音さんを連行する旨を伝えるまで何も発することができなかった。
だって罪を告白した琴音さんは泣きながら己の不運を嘆いていた。その原因がわたしみたいだったんだもの。わたしのせいでこの事態が、事件が、琴音さんの犯行が、石栗くんの死が、起きたみたいに思えてしまった。
「深呼吸してみな」横目でわたしを見る安室さんに言われた通り、目を閉じて、ゆっくり大きく息を吸った。淀んだ肺が広がって、新しい空気が取り込まれた気がした。いっぱいになった空気を吐き出す。そのときにはもう、さっきまでの自分とは違う気がした。「……」ポロッと一粒涙が零れたので手の甲で拭った。涙は続かなかった。ガバッと安室さんを見上げる。


「…安室さん、ありがとうございます!」
「どういたしまして」


横顔は目を細めて笑っていた。それにわたしも、にっこりと口角を吊り上げる。安室さんの言う通りだ、起きた事件を、ちゃんと解決することができてよかった。琴音さんが一生ゆるしてもらえず生きることにならなくてよかった。わたしも正面を向いて背もたれに寄りかかる。やっぱり安室さんは、すごいなあー…!わたしすっかり元気付けられちゃった。
思えばミステリートレインでわたしが大ポカをやらかしたときでさえ安室さんは少しも怒ることなく気遣ってくれた。今回も偶然居合わせた側の人間なのに容疑者に数えられるなんて情けない事態に陥ったのに褒めてくれたし、わたしの疑いも解いてくれた。なんて素敵な探偵さんだろう。こんな人のそばにいれて、わたし幸せでたまらないよ。一瞬ちらっとわたしを見た安室さんは、それからすぐに進行方向に戻した。


「君って意外と落ち込みやすいよね」
「えっ?!」
「今回もだけど、ミステリートレインでのことも。本当に気にしなくていいんだからね」
「あむろさん……」


ありがたさと申し訳なさと嬉しさに、安室さんを見上げながら眉尻が下がってしまう。ミステリートレインのこと気にしてるの、気付いてたんだ、本当に、ああ嬉しいなあ…。


「安室さん大好きです〜…」
「あはは、どうも」


相変わらずこの手のリアクションは薄い。何かを期待して言ったわけじゃなく言いたくなったから言ったのだけど、安室さんはいつもみたいに苦笑いで返すだけだった。いつもペアみたいなものだと言ってくれたりお手柄だったねと褒めてくれても脈はまるでなさそう。それに安室さんが照れたり、僕もすきだよって返してくれるところは悲しいかな、全然想像できない。道のりはまだまだ長いのだろう。……あっ、お手柄といえば。


「そうだ安室さん、コナンくんってすごいですよね!遺体を目の当たりにして冷静というか、機転が利くというか…!」
「ああ…それは僕も思ったよ。毛利先生の推理も見事だったし、あそこの事務所で得られることはまだまだ多そうだ」
「またまた!安室さんも過冷却水なんて難しいもの知っててすごかったですよー!」


思うままに褒めちぎると安室さんはふっと小さく笑って、「ありがとう」とお礼を言った。それでわたしもとっても嬉しくなって、このあと自宅に着くまでずっとにこにこしていたのだった。


top / 消えた密室の鍵編おわり