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 大きな音で目が覚めた。横になっていた体勢からバッと起き上がると、


「あんたは後ろでおとなしくしてるんだね!!妙なマネしたらタダじゃおかないよ!!」


 拳銃を向けられたのだった。




 すぐに圭さんの車は四車線の大きな道路に出た。表示板でここが王石街道だとわかる。脅されながら運転する圭さん、助手席にはコナンくんを腕で拘束し、もう片方の手に握られた拳銃を圭さんに向けて座る知らない女の人がいる。ごくりと固唾を呑む。

 じ、状況がまったく読めない…!何がどうしてこんなことに…!というかわたしいつの間に寝てたんだ?全然眠くなかったのに。辺りを見回すと足元に飲みかけのペットボトルが転がっていた。中身のほとんどが零れていてとてつもなく申し訳ない気持ちになる。あとで謝らないと…。
 それから。運転席側のサイドガラスが割れている。さっきの音は銃声だったんだ。ということは女の人が持っているのは本物だ。なに、何者なんだこの人。拳銃なんて持ってるってことは悪い人、だよね?そんな人がなんで圭さんの車に乗ってるんだ?疑問は温泉のように湧いてくるけれど残念ながら口にする勇気がなかった。わたしが下手にこの女の人を刺激して、もし圭さんやコナンくん、……わたしが撃たれたりしたらまずいどころの騒ぎじゃない。ここは黙っておくべきだ。というもっともな口実を心の中で唱え、シートの上で拳を作る。自分がいざというとき動けない、勇気がない人間だということはわかっていた。

 しばらくしてふと、右車線を走る車に目が行った。「……!」安室さん、だ!安室さんの車がこの車を追い越そうとしているのだ。この車も相当スピードを出しているだろうに、安室さんの車は横に並び、じわじわと追い抜いていく。

 安室さんと目が合った。


「……?」


 目が合ったまま、安室さんは右手をハンドルから離し、それから肩に手をやった。「……」それを軽く引っ張り、わたしに見せつけるようにしてみせる。

 シートベルト……?しろってこと?

 じゃないかな、でも何でだろう。首を捻りながらも後部座席のシートベルトを探り、カチッと締めた。これやって何か意味が――。

 次の瞬間激しい衝撃が訪れた。ドゴッと気味の悪い音と共に前方に身体が放り出されそうになる。ぐっと締まったシートベルトによってそれは避けられたけれど肩や腰に食い込むベルトが一瞬苦しかった。
 車が、安室さんの車が、追い越したと思ったらいきなり横向きに車線に入ってきたのだ。スリップしたように回転したそれに急ブレーキが間に合うはずもなく、二つの車は派手に衝突した。エアバッグが出てこちら側の怪我人はいないみたいだけれど、「け、圭さん!」圭さんがエアバッグに頭を埋め気絶していた。


「な、な……」


 バンッとドアを開け拳銃を持った女性が、コナンくんを人質に抱えて車を降りた。「何なのよあんたら?!」


「コナンくんっ!!」


 シートベルトを外し外に出る。助けないとと思ったのだ。ほとんど反射的に。そうしたら、


「吹っ飛べェ!!」
「え」


 拳銃を持った女の人が吹っ飛んできた。



◇◇



 気がつくとまた車の中だった。数秒ボーッとしたあと、バッと起き上がる。


「気がついた。具合はどう?」


 その声で、助手席に座っている安室さんを捉えた。「安室さん!」身を乗り出して前のシートにしがみつくと、振り返った彼との距離が近くなる。よくよく見てみるとこの車はタクシーだ。男の運転手さんはまっすぐ進行方向を見ている。


「あれ、えっと…?」
「病院に向かってもらってるから。事件なら全部解決したよ」
「そ、そういえば安室さん車大丈夫でした?!故障?!めっちゃスリップしてましたよね?!」
「大丈夫ではないけど……まあ、わざとぶつけたから気にしないでいいよ」
「わざと?!」


 うん、となんでもないように頷く安室さん。それに言及しようとするも、病院に着いたため話は一旦切り上げられてしまった。
「軽い脳震盪なので心配はいらないでしょう」待ち時間もそう長くはなくすぐに受けられた診察で、診断結果に一応はホッとする。お医者さんに言われて初めて後頭部のこぶの存在に気付いたくらいだったので大事には至ってないと思っていたけれど、気絶するほどぶつけどころが悪かったのは初めてなので内心ひやひやしていたのだ。
 頭に包帯を巻いてもらったあと、診察室を出て安室さんと合流し、会計を済ませ再びエントランスへの道を引き返す。外でタクシーに待ってもらっているのだ。時間が時間なのでもうほとんど患者さんはいない。わたしたちの足音がやけに響いている。


「君にも事情聴取したいらしいから、近いうちに警視庁に来るようにだって」
「警視庁に?!うわー…ひ、一人でですか?」
「当たり前だろ。子供じゃないんだから」
「ぐ……じゃあ今度のお昼までのバイトの日に行こうかなあ…」


 タクシーに乗り込み、今度はわたしたちの住む米花町へと走り出す。その最中、運転手さんに聞かれても大丈夫な範囲で事件の話を聞くことができた。圭さんが圭さんじゃないと聞いてひどく驚いたし、わたしが寝ていたのは睡眠薬入りジュースのせいだったのだという。全然気付かなかった。「一度開けたならキャップの部分でわかるだろう」「す、すみません…フルーツジュースだったもので嬉しくて…」「はあ…」深い溜め息までつかれてしまう。わたしも軽率だった。素直に反省する。なんたってコナンくんはそれに気付いて飲まなかったのだというのだから、年上の大学生として恥じ入らざるを得ないだろう。

 わたしが脳震盪で気絶したのは、車を止めるために安室さんが自分の車をぶつけたあと、コナンくんを助けるため駆け付けていた蘭ちゃんの友達がバイクで強盗犯を殴り、それがわたしに吹っ飛んできて車のドアに思いっきり頭をぶつけたかららしい。バイクで殴るという表現に突っ込みたかったけれど、思い出すと強盗犯の女の人が吹っ飛んできたのを確かに覚えているので身を震わすばかりだ。
「無事でよかったよ」そう締めくくった安室さんにはバツが悪くて目を逸らす。


「でも、わたしいいとこなしです…」
「それは、まあね」
「しかも安室さんに迷惑しかかけてない!」
「ハハ……」


 さっき気付いたけど、タクシーで横になっている間、コンビニで買ったとみられる氷を安室さんの上着に包んで枕にしていた。頭に小さなこぶが出来ていたからとはいえ安室さんの優しさには感謝するしかない。そしてわたしの足手まといたるや!

 米花町のわたしのマンション前に到着し、安室さんが支払いを済ませるのを何とか自分の分は払おうと財布から千円札を召喚するも、一人でも二人でも値段は変わらないからと断られてしまう。最後の最後までこんなんかあ、と沈みまくるテンションのまま、運転手さんにはお礼を言って降車した。
 緑と黒の車体が遠ざかっていくのを見送り、それから隣に立つ安室さんを見上げた。エントランスの蛍光灯のおかげで顔がよく見える。わたしに対して怒ってるわけでもなく呆れてるわけでもない、あえていうなら頭のこぶを労っている表情だった。「これちょっと持ってて」わたしにさっきまで枕にしていた上着を渡すと、近くの花壇にほとんど溶けた氷の袋を開けた。「あ、安室さん、ありがとうございました、ほんとに…」気も利かない、自分の至らなさに嫌気がさす。誰でも言えるような感謝の言葉しか言えないわたしに、安室さんは数回袋を振ったあとそれを畳みながら、少し眉尻を下げて仕方のなさそうに振り返るのだった。


「君の迷惑には慣れてきたさ」
「う…慣れるほど迷惑かけ……否定できないです」
「うん。だからなんだけど、」


 ぴっしり四つ折りに畳んだ袋から目線を上げる。安室さんは目を細めて、どこか自嘲気味に笑っていた。


「君のことは放っておけないんだよ」
「……え」


 どきんと心臓が跳ねるのがわかる。すぐさま頬が熱くなり、頭の中も軽いパニック状態に陥る。「え」の口をパクパクさせるけれど言葉が出てこない。まさか、安室さんの口からそんな台詞を聞けるなんて…!


「え、えーー……っとお…?」
「……ごめん、照れさせる意図はなかったんだけど」
「つまり本心…!余計どきどきします!」


 きゃーっと両手で自分の頬を包む。安室さんは呆れたような楽しそうな変な顔で笑っていたので、わたしに対して悪い感情を持ってるわけじゃないんだと確信できた。


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