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 安室さんのバイト上がりにまっすぐ向かった携帯ショップでは、なんとほとんどの手続きを安室さんがしてくれた。爆発した携帯に刺さっていたSIMカードも駄目になってしまったので完全に新しく買うことにしたのだけれど、お店の端末に個人情報を入力する作業では安室さんがわたしの生年月日どころか住所すら当然のように何も見ず手打ちしていたのでさすがにびっくりしてしまった。自宅と近い住所だからかな、と一応は納得したものの、自分は安室さん家の番地を覚えていないので、記憶力の高さに感服してしまう。
 契約主のわたしがほとんど膝に手を置いたままつつがなく手続きは済み、カバンと携帯本体だけを持って店を出る。五月に入り夏はもう目前だ。日差しは昨日より間違いなく強いけれど、風は春の名残でそよそよと気持ちがいい。新品の携帯にうきうきする気持ちと、無惨にも爆発した前の携帯への憐れみに複雑な胸中で、あの子の分も君を可愛がるからね、と新しい携帯を頬に当てる真似をする。


「貸して」
「えっ?」


 携帯ショップの紙袋を持ってくれている安室さんが差し出した手に、考えることなくそれを乗せる。まだパスコードも設定していない真新しい携帯を、さっき店員さんから教わったのと同じ手順で操作していく。


「はい」


 すぐに返され、開いた画面のまま受け取る。見れば、安室さんの連絡先が登録されていた。電話番号も、覚えてはいないけれど、前に登録されていたものと同じだろうと直感する。
 安室さんはそれから、自分の携帯を取り出し何やら操作し始めた。間もなく、ピピピッとわたしの携帯が着信を告げる。「安室透」さんからの着信だ。


「ん。よし」


 すぐに発信を切り、携帯をポケットにしまう。どうやら自分の携帯にわたしの番号を登録してくれたみたいだ。なんだかむず痒く、へへ、と笑うと、安室さんは「知り合いの番号は今度教えるよ」と言って歩き出した。なんでも、これから用があってすぐに帰らないといけないのだそうだ。今は車の修理中で移動に時間がかかるため、余計急がなければいけないらしい。
 そんな中でも携帯ショップまで付き合ってくれたのがこの上なく嬉しい。軽い足取りで追いかける。わたしの携帯に一番に登録された連絡先。画面には「安室透」の名前……。


「安室さん」
「ん?」
「結局安室さんって、いくつ秘密があるんですか?」


 隣に並び見上げるわたしを見下ろした安室さんは、きょとんと目を丸くした。それから、考えるそぶりで一度目を逸らす。次にわたしと目が合ったときには、困ったように微笑んでいた。


「山ほどあるよ」


 言ったあと、ポケットに手を入れ進行方向を向く。文字通り前向きな横顔に、自然と笑みが浮かんでいた。秘密を山ほど抱える安室さんが、それでも前を向いていることは、きっとわたしが想像するよりすごいことで、並大抵な覚悟でできるものじゃないだろう。そんな安室さんを絶対に独りにさせたくなかった。知ることができないのは悲しいけれど、知らないことで安室さんを守れるのならば、一生守り切ってあげられると思った。
 安室さん、わたしのこと諦めないでくれてありがとう。


「わたし、もっと頑張りますね!助手として!安室さんが「ごっこ遊び」なんて嘘をつかなくて済むように!」
「君は今のままで充分だよ」


 流暢に返された言葉に見上げる。横顔は穏やかだ。皮肉やお世辞で言っているのではないことがわかる。
 そんな、自分をまるっと肯定してもらえるとは思っていなかったのでびっくりしてしまう。それにすごく嬉しい。いいのか…いいんだなあ、安室さん。……。


「も、もうひとつ聞いていいですか?」


 うかがうように隣から覗き込む。人差し指を立てて数字の一を示してみせると、安室さんは声にはせず首を傾げた。反応はダメとは言っていない。ふと今しがた気になったことを問う。


「安室さん、わたしのこと、どう思ってます?」


 前にも聞いたことがある質問だ。あのときは、「愉快な子だと思ってるよ」って言われた。また同じことを言われるかな。他のことも言ってほしい。だって安室さんのわたしに対する感想が、それしかないなんてとても思えない。
 安室さんは「ああ…」と思い出すように零したあと、わたしを見る目を細めて、口を開いて笑った。


「ずっとそばにいてほしいと思ってるよ」


 その言葉に足を止めたわたしに、安室さんも立ち止まって振り返る。柔らかい風が二人の間をすり抜ける。安室さんとわたしの髪が軽やかになびく。眩しいほどの日差しが降り注ぐ中、内側から火照る頬、張り裂けそうな心臓、何も見えない、わたしの目には安室さん、今は安室透さんと呼んでいる男の人しか映っていなかった。

 安室さん、わたしの人生で一番の幸運は何か、ご存知ですか。


「安室さんがずっとすきです!なので付き合ってください!」


 込み上げる勢いのまま、絶対に伝わるよう声を張り上げた。言い終わって、すうっと息を吸う。二人とも目を逸らさない。
 安室さんが柔らかく、ふっと笑った。


「いつかはな」


 そっと心に触れ、すくい上げる。わたしたちは心地よい風に包まれる。思わず破顔したわたしを見つめる安室さん。絶対に見離さない。だって、大人の人なのに泣きそうな顔のあなた、うそじゃないもの。


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「おとなのひと」おわり