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 安室さんの言う通り、ケーキが溶ける謎は翌日に解決した。原因はなんと、タクシーの無線だったというから驚きだ。いわゆる電波干渉と呼ばれるものらしく、深夜ポアロの近くで駐車しているタクシーの無線の周波数と、ポアロの電気ポットの周波数が偶然にも一致していたせいで、タクシーが配車の連絡を受けている間の数秒間、電気ポットが誤作動を起こしていたのだそうだ。電気ポットはケーキストッカーの真横に置いてあるので、ポットの注ぎ口から沸いて出てくる蒸気がストッカーの吸気口に吸い込まれ、中がサウナのように温まる。これによってケーキが溶けてしまったのだ。誤作動が終わったあとはそのまま冷やされるため、朝ストッカーを開ける頃には不自然に崩れたケーキが出来上がっているというわけだ。
 解決にいち早くたどり着いたのはコナンくんだった。先ほど説明された彼の推理を脳内で反芻させながら、安室さんのケーキを一口食べる。今は事件解決のお祝いも兼ねて、少年探偵団の四人と蘭ちゃん、毛利さんを交えて新作ケーキの試食会が開かれていた。わたしは梓さんと一緒に安室さんの指示でケーキの盛り付けをして、今はカウンターの内側で二度目の試食をしているところだった。この間食べたものから多少の手を加えたとのことで、なんでもスポンジの生地と生クリームにヨーグルトを混ぜているらしい。今回のも間違いなくおいしく、トッピングのフルーツともよく合う。みんなの絶賛具合からも、このまま商品化されるだろうことが期待できた。安室さんもみんなの様子を見て満足そうだ。
 ケーキが溶けた理由もわかったことだから、イチゴのケーキを復活させてもいいと思うのだけれど、どうやら新作のケーキは以前歩美ちゃんが見つけたケーキ屋さんの商品と差別化を図る目的もあるらしく、再販売は難しそうだ。どっちもすきだからもったいない気がしてしまう。でもさすがに二つ常備するのは難しいしなあ。こくんと嚥下すると、カウンター席でケーキを頬張るコナンくんが視界に入った。先ほどの推理ショーで大活躍だった彼に声をかけたくなって、カウンターに手を置いて身を乗り出す。


「今回もコナンくんお手柄だね!前を通ってるのがタクシーだったってわかっただけで原因を突き止められちゃうなんて、すごいなあ」
「少年探偵団のみんなや阿笠博士のおかげだよ」


 口の中のものを飲み込んだのち謙虚な返答をするコナンくんに感心してしまう。天才少年という認識を改めて深く胸に刻むよ。もちろん、真相解明に他の人の力が必要不可欠であったことは先程の推理を聞いて存じているけれど。それでも、またまたー、と手を振って隣の安室さんに顔を向ける。


「ね、安室さん、コナンくんすごいですよね!」
「うん。情報を並べられたところで、なかなか気付けることじゃないよ」


 感心する安室さんに深く同意する。コナンくんは恐縮しているようで、肩をすくめて笑っていた。ストッカーの中の溶けたケーキ、隣の電気ポット、深夜に横切るタクシー。これらがわかっていたところで、「タクシーの無線が電気ポットに電波干渉し、沸騰したお湯の蒸気がストッカーに吸い込まれてケーキを溶かした」と推理できるだろうか。わたしにはできそうもない。安室さんなら、できるだろうけれども。
 そこまで考え、はたと思い出す。というか、安室さんって。


「安室さん、どこまでわかってたんですか?」
「え?ああ……電気ポットの水蒸気が原因かもしれないなって程度だよ。まさかタクシーの無線の電波干渉だったとはね」
「ええ、そこまでわかってたなら電気ポットを使うのやめたらよかったのに…」
「灯りがなくて不鮮明だったし、確信がなかったからなあ」


「でも蘭さんの言ったように置く場所を変えてみたらよかったね」そこまで思い至らなかったと言わんばかりに笑う安室さん。横から見上げながら、無意識に顎を引く。……安室さんが行動に移さなかったの、何か理由がありそうだな。だって、安室さんがそんな単純な対応策を思いつかないなんてこと、あるだろうか。これは買い被りなんかじゃない。


「安室にーちゃん、おかわり!」
「ボクもー!」
「歩美もー!」


 テーブル席から元太くんたちの元気な声が聞こえる。「はーい」気前よく返した安室さんが流れるようにスポンジにトッピングを盛り付けていく。


「わたし持っていきます!」
「そう?じゃあ頼むよ」


 頷き、トレンチに三つのケーキ皿を乗せスウィングドアを通る。元太くんたち三人は壁沿いの四人席に座っており、ソファ席が一人分空いていた。少年探偵団の一員である哀ちゃんも来られたらよかったのだけれど、今日は都合が悪いそうだ。ケーキを彼らの前へサーブし、代わりに空のお皿をトレンチに乗せる。彼らは喜んでお礼を言うと、早速二つ目に手をつけた。


「にしてもよー、ドローンが勝手に動いたのが探偵バッジのせいだったなんてなー」
「怖かったよね…」
「ドローンの周波数を変えてもらうよう博士に言わないと、ってコナンくん言ってましたね」


「博士、ドローンも作れるんだねー」そういえばそんなことをさっきコナンくんが言っていた。ドローンって、どう考えても簡単に自作できる代物じゃないと思うのだけど、阿笠博士はゲームも作れるらしいし、博士という名は伊達じゃないんだなあ。一度訪ねて以来ご無沙汰なので、いつか話を聞いてみたい。確か哀ちゃんも博士の家に居候していると聞いた。


「博士はもっと色んなものを作ってるんですよ!探偵バッジとか、この腕時計型ライトとか」
「それ、宅配便に閉じ込められたとき使ってたやつだよね?」
「はい!あと、ソーラーで動くスケボーと、キック力増強シューズと、サッカーボールが出るベルト……まあこの三つはコナンくんしか持ってないんですけど…」
「いいよなーコナン。オレも欲しいぜー」
「ボールは花火にもなるんだよね!綺麗だったなあー」
「は、花火…?」


 ベルトからサッカーボールが出てくる時点で想像力が試されたけれど、さらに花火にもなると聞いてつい首を傾げてしまった。慌てて真っ直ぐに戻し、背筋を正す。それほど阿笠博士が規格外な発明品を作っているということだ。探偵バッジだって、かなりの長距離での通信ができるようだし、生半可な機械じゃない。初めて安室さんから博士の存在を聞いたときこそ、安室さんって好奇心旺盛だなあと思ったものだけど、知っていくうちにわたしも興味が湧いてきた。「博士の家の屋上で打ち上げたら、あとでご近所さんから怒られましたよね」「すっげーでっかくて明るかったもんな」どうやら花火も本格的なようだ。ボールというからには蹴るものだろうし、蹴り上げるにしても高さには限度がある。もしかしてキック力増強シューズというのも使うのだろうか。とにかく、住宅街で花火音が聞こえたらびっくりしてしまうに違いない。そんな想像はできて、つい苦笑いしてしまう。


「あーっ!そうだった。ここに来た用事を忘れてた!」


 カウンター席のほうから聞こえた声に顔を向ける。毛利さんが、カウンター越しに梓さんにバインダーらしきものを渡しているのが見える。


「どうも」


 受け取った梓さんがそれへ目を落とす。どうやら回覧板のようだ。「ああ、来月やる東京サミットの……」彼女の呟いた声に、内容をなんとなく想像する。東京サミット、そういえば五月一日だっけ。もう来週の話だ。


「……あ。梓さん、マスターには言ってあるんですが、その日ポアロ休みますから、お願いします」
「あ、はい。マスターから聞いてます」


 安室さんと梓さんのやりとりを離れたところから聞く。わたしもその日は休みだ。確か前の二日間、長い時間シフトに入るので、思い切って一日休暇で希望を出したのが通ったのだ。大型連休中、安室さんと被っている唯一の休みだ。どこか出かけられたらいいなあ。


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