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朝の支度はいつも通りの時間に済んだ。ネイビーのマフラーを首に巻き、あくびをしながら階段を下りてくる母にいってきますと挨拶して家を出た。腕時計を見て、朝練には余裕を持って行けるだろうと確認する。
そういえば携帯持ってきたっけ。郵便ポストの前を横切ったところで思い出し、エナメルの中を探るとそれは案外早く見つかった。いつも朝起きてすぐバッグに突っ込むから記憶が曖昧になりがちだ。何となく画面をつけてみると思っていた待ち受けは現れず、代わりにそこはアプリの通知で埋め尽くされていた。…なんだこれ。思いながら下へスクロールしていくが終わりが見えない。動いていたのはどうやら部活のグループのようだ。夜に交わされたやりとりだったらしく、スタンプとおやすみの応酬が延々と続いていた。昨日は早くに寝てしまったから気付かなかった。何の連絡だろう。うわ、赤葦ほんとに寝たとか言われてる。俺だけいなかったのか、


「京治くんおはよー!」


ハッと顔を上げる。道路の先、の家の前で、その本人が手を振っていたのだ。思わず目を疑うが見間違いじゃない。なんでがここに。朝練に向かうこの時間に彼女がいるはずがない。しかしカバンを持ち制服にも着替えている彼女は完全に今から登校する出で立ちだった。
瞠目する俺に駆け寄ってきた彼女はにこにこと笑ってなぜか上機嫌だ。それでようやく思い出す。昨日、と木兎さんが二人でどこかに行ったことを。気付いた瞬間、心臓の浮く感覚がした。…もしかしてそのことで、何か報告されるんじゃないか。


「京治くん、お誕生日おめでとう!」


「…え」予想してなかった言葉に一瞬頭がフリーズした。が、すぐに持ち直し、同時に滝のような通知の謎も解けた。……ああ、だから俺に言及したメッセージがあったのか。
悪い予感が外れたことに心底安堵しながら、ありがとうとお礼を言う。見上げる彼女はやはりにこにこしながら、肩に掛けたカバンからなにやら薄桃色の袋を取り出し、はいと俺に差し出した。それがどういう意味なのかはすぐにわかる。「開けてみて!」もう一度お礼を言いながらそれを受け取り、緑のリボンを解いてみると柔らかい布に包まれた、片手で持てるほどのダンボールの箱があった。それを取り出し開けると、緩衝材に包まれた、大きめのマグカップが出てきた。
らしい柔らかい印象を持つデザインのそれに、心がじんわりと暖かくなる。「これからもっと寒くなるし、お家で使えるかなと思って、」顔を赤くしてはにかむ彼女にうんと相槌を打ちながら、ふと、マグカップの底が普通の円形でないことに気が付いた。掲げて底を見てみると、雲の形の吹き出しに英語のメッセージがプリントされていた。無意識に笑みが零れる。…らしいな。誕生日に貰ったことを、ずっと忘れなさそうだ。


「昨日までずっと決められないでいたんだけど、一緒に来てくれた木兎さんが、わたしが選ばなきゃだめだって言ってくれたの」


ああ、なるほど、昨日のあれはそういうことだったのか。胸のつかえがなくなり、それと同時にこの上ない愛しさがこみ上げてくる。声や表情から、が俺のために一生懸命悩んでくれたのがよく伝わってきた。「嬉しいよ。確かにらしいね」そんな、彼女らしいものが俺はすきだった。去年のスポーツタオルも今年のマグカップも、俺にとって一生大事なものになるだろう。


「へへ、最後はわたしが欲しい方にしちゃった」
「俺、らしいのすきだよ」
「…、!」


思ったままのことを言うと、なんでか目を見開いたはそれから泣きそうに笑い、ありがとうと言った。

がじっと目を合わせるのがすきだった。俺を見上げて、笑ったり困ったり表情を変えるのがいいなと思っていた。ゆっくりと、手に持ったそれに視線を落とす。

それだけじゃない。俺はこの子の、本当にいろんなところをいいなと思って、すきだと思っている。誰かのになってしまうと思っただけでだめになるくらい大切に思って、……いるんだから、


「京治くん?」


言わない理由なんて、本当はなかったんだな。


「ううん。……、…すきなので、俺のになってください」


だいぶ情けない顔をしてたかもしれない。それでもなんとか目を見て伝える。彼女はさっきよりももっと驚いたみたいだったけれど、すぐにふにゃりと気が抜けたように、「もちろんだよ」満面の笑みを浮かべたのだった。それに笑い返す俺も相当気の抜けた顔だったと思う。





プレゼントをバッグにしまい、腕時計を確認する。「ちょっと急いでいい?」元々余裕はあったけれど、少し早く歩いた方がいいだろう。このまま学校に行くつもりだったらしいはそれにうんと頷いてから、「あの、」と続けた。なんだろうと思いながら彼女に顔を向けると、「手、繋ぎませんか!」唐突なお誘いを受けた。から言ってくるとはあまり思ってなかったのでちょっと驚いた。すぐに気を取り直し、頷く。


「じゃあ、繋ぎましょうか」
「うん!」


ぎこちなく手を差し出し、ぎこちなく重ねられる。それから二人してふっと笑って、同時に歩き出した。いい一日が始まりそうだ。


おわり